上五島の旅:野崎島に上陸してきた。
小値賀島3日目の朝は、朝イチで野崎島に渡る町営船はまゆうに乗るため、早起き。
直食後、まだ薄暗い中をてくてく歩いて港に向かう。同じ宿からは二人組の男性客もかなり早くに食事とって、私より早く出発してたけど、この人たちは町営船はまゆうには乗ってなかった。この人たちも、高速船の欠航で本土に帰りそびれて朝イチのフェリーに乗るためにターミナルに向かったクチだったのかなぁ。
離島行きの乗り場は佐世保からのフェリーが着くとこと違うので要注意。
小さい船、小さい船、とあちこちで書かれているので定員20人とかの釣り船クラスをイメージして行ったんだけど思ったより大きくて快適な船だった。定員50名ぐらい?
中の座席も快適。島に着くまで案内のビデオが流れる。私みたいに前日から島に入るのではなくら早朝に小値賀に到着するフェリーで来て、そのまま野崎島に行く人が結構いるようで、船に乗ってみたら結構大勢観光客がいた。12、3人ぐらいは乗ってたと思う。
船のチケットはこんなの。予約不可で代金は船の中で支払う。入島した人数の確実な把握のためかな。
前日に見学してきた晋弘舎さんが活版で印刷してるみたい。
島に上陸すると通常はビジターセンターをのぞいたり、島の観光拠点となる自然学塾村に20分ほどてくてく歩いて向かうんだけど、私と一緒に舟森集落へのトレッキングに参加する予定のご夫婦がご高齢だったので、村のスタッフさんに「乗ってく?」と言われ、私もトラックの荷台に便乗させてもらって、他の人たちよりラクして五分ほどで自然学塾村に到着した。トラックの荷台乗るの久しぶり!楽しくなっちゃう。
自然学塾村の建物入り口では、鹿の骨で作ったこんなオブジェが出迎えてくれる。アバンギャルド…
同じパーティのご夫婦は、五島列島の下の方から世界遺産の教会を巡りながら北上する旅をしてきたそう。野崎島がハイライトの予定だったんだけど、前日は中通島から小値賀島行きの船が欠航になり、こりゃ無理かなと諦めかけていたところ、たまたま漁船で中通島に来ていた船長さんが小値賀に帰る船に乗せてくれたので、無事に前夜に島に入ることが出来たんだそうだ。
いやぁ運が良かったよ、と笑っておっしゃってたけど、この年代でそういうアクシデントも楽しみながら夫婦で旅ができるなんて素敵だなぁ、と思った。ご主人は学生時代には山岳部だったそうで、お年の割にしっかりした足取り。往復約四時間のトレッキングは予定通りの時間でスタスタ歩けた。
とはいえ、普段運動とか散歩とかまるでしてない同世代の方も同じように気軽に歩けるコースではない、ということは明記しておきたい。島の反対側にある奇石、王位石(おえいし)行きのコースほどは過酷でない、というだけで、大半が山道で舗装もなく、不安定な石がゴロゴロしてるような道を二時間近く、さほど休憩も入れずに歩くんである。
こんな景色が見られるのは教会のある野首の集落の近くだけ。山に入ると拓けた場所はほとんどない。ガイドの前田さんは途中で足をくじいた人をおぶって峠を越えて港まで戻ったことがあると言ってたし、実際ガイドなしで山に入った人が道に迷って遭難する事件も起きている。山がちな地形で樹木も多いので、多くの場所で見通しがきかないし、警察も病院も島内にはないので、何かあっても助けがくるのも遅い。甘く考えず、きちんとガイドツアーに申し込むべし。
トレッキング用のストックは自然学塾村で貸してくれた。私はストック使うの初めてで、むしろ歩くのに邪魔じゃないのかねぇ…と半信半疑だったんだけど、めちゃくちゃ役に立った!グラグラした石をつついて足をのせて良いか確かめたり、目の前に立ちはだかる巨大な蜘蛛の巣を払ったり、トゲのある植物に引っかからないように押さえたり、山道では色々と役に立つ。帰る頃にはマイストック買いたくなってた。
途中、こんな文字を刻んだ大きな石がいくつか見られる。
イカサ、じゃないよ。昔の字だから右から読むのだ。正解は「サカイ」。集落の字の境界を示す石だそう。といってもめっちゃ山の中で、線引きする意味よくわからなかったけど…
荒れた山道を越えてイバラだらけで足がチクチクする下り坂に入ると、視界がひらけて舟森の集落に入る。
舟森集落は三つあった野崎島の集落のひとつで、島の南端の急峻な崖を開墾して作られた小さな小さな集落だ。前日に小値賀の郷土資料館で予習してた、廻船問屋の「田口さま」が、翌朝処刑される予定だったキリシタンの親子を船底に隠して運んで逃してやった、というまさにその場所。
急な崖地を無理やり切り拓いた狭い段々畑のような形状の集落跡地(建物は残っておらず、土台の土地と、割れた食器や何か避けのようなものの入った瓶が半分土に埋まって散乱しているだけの廃墟だ)を見ると、時間を引き戻されたみたいな不思議な感覚になる。キリシタンたちが潜伏していたのも、ついこの間だったのでは…と感じてしまうほど。
集落の教会跡地の十字架だけが、昭和40年代までここに人が暮らしたことの証明みたいに建っている。振り返ると、目の前は海だ。
ちょっと水平線がナナメってますが、足場もナナメってるものでふんばりがきかないのだ…
野崎島の学校が野首地区に集約されてからは、舟森の子供たちは我々が息を切らせて歩いてきた山越えの道を、歩いて学校に通っていたんだそう。片道一時間超えの山道を子供だけで。雨とか降ったら大変だったろうなぁ…
長崎にはここ以外にも迫害されたキリシタンたちが逃げてきて定住し、痩せた土地を開墾しながら信仰を守り続けた潜伏キリシタンの島がいくつかあって、幕末のカトリック神父によるいわゆる「信徒発見」後も、カトリックへの改宗ではなく各地域でキリスト教信仰が信徒以外にばれないよう独自進化した「カクレ」の信仰を続けている島もあるのだが(信徒発見後、カトリックに改宗したキリシタンを「潜伏キリシタン」、カクレの信仰を貫く人たちを「隠れキリシタン」として区別する)、そうした信徒たちを“正統”カトリックへの帰属をもってようやく信徒として受け入れた当時のバチカンの教条主義的発想に関しては、私はホントに感心しない…
当時のバチカンの聖職者たちは、迫害され、後ろ盾もなく自分たちだけで信仰を守り続けた人たちが暮らす村をちゃんと見たのかなぁ。電気も何もない時代に身一つで命がけで海を越え、苦難に耐えて荒れた土地を耕し、信仰を守ってきた貧しく虐げられた人たちこそ天国に一番近い神の子らだ、とは思わなかったのかねぇ…
私は色々と感じ入ってしまったけど、歴史的な知識なしにここまで歩いてきても、それほどは面白くないと思う。道がきついわりには圧倒的な絶景!というほどの景勝ではないし、野首の集落みたいに建物が残ってるわけでもないので、廃墟マニアは廃墟マニアで「土台だけかぁ…」ってなるとは思う。
私の胸が震えたのは、小説と映画の「沈黙」に以前から触れてたことや、小値賀の郷土資料館で最初のキリシタンたちがどんな風にしてこの島に逃れてきたのかを、わりとじっくりお勉強してきたこととと、開拓前の姿に戻ったかのような荒涼とした集落跡地の景観がその場で一緒くたになって、タイムスリップしたような気分が味わえたからだと思う。やっぱり郷土資料館ほんとおススメなのでみんな行ってほしい…
帰りは一度通った道なので、少し早く感じる。お昼過ぎには野首の集落に戻ってくることができた。
日が高くなると海の色もこんなに綺麗に。
昼ごはんは用意してきた食材を自然学塾村のキッチンを使わせてもらって調理して食べる。野崎島にレストランや売店はないし、朝1番の船に乗る前には小値賀港近くのスーパーもまだ空いてないので、前日までに用意しとく必要あり。鍋や食器、ガス台やレンジは利用料金に含まれるので自由に借りられる。
私はレトルトのグリーンカレーとパックごはん持って行ってたので、あったかいものが食べられた。宿泊予定とかでもっとがっつり食材持ち込んで料理してる人たちもいたので、ちょっと羨ましかったー。
自然学塾村はトイレも部屋もそこそこ綺麗だし、学校の教室お泊りというだけ大人もテンションあがる感じなので、今度は来るときは宿泊しよう!と思った。イノシシなどが出るし真っ暗で危ないので、夜は敷地外の散策には出られないそうだけど、でも星が綺麗だろうしなぁ。夏は校庭のテントサイトでテントはってのキャンプも可能。
お昼の後は、お目当ての野首教会を見学。教会の中は現在撮影不可なので写真は外観だけ。
この教会堂を建てる費用を捻出するために、集落の人たちは食事の回数を減らし、キビナゴ量で得た収入を貯金して、3000円(現在のお金で約2億円)の建築費を積み立てたのだそう。設計は鉄川与助。
当時、工事の関係者は、信者たちの暮らしがあまりにも貧しいことに驚き、工事が終わったら金が払えない住民たちに殺されてしまうのではないか…と怯えたそうだ。もちろん、きちんと工事費は支払われたのだけど。
ステンドグラスは海外からの輸入もの(現在のステンドグラスは修復されたもので、当時の実物のステンドグラスの一部は小値賀の郷土資料館で見られる)。聖人画などではなくて、主に椿の花をモチーフとした幾何学的な模様。綺麗というより可愛い感じ。一部の窓は雨戸で締め切られているけど、季節と時間帯によっては床にステンドグラスの色が落ちてそれはそれは美しいのだそう。
教会堂が完成した時、島の人たちはどんなに誇らしかっただろうなぁ…と思う。集団離村により島が無人化してからも、レンガの教会は雨風に耐えて当時の姿を残した。建物の土台しか残っていない舟森集落、家や社がゆっくりと崩壊しつつある廃墟の野首集落を見たうえで、小さいけれど風格のあるレンガの野首教会を見ると、実に超然としてて神々しい感じがする。
背後から見るとこんな感じ。
帰りの船までまだ時間があったので、野首のダムも見に行ってみた。島の幅が狭くなったあたりの、教会堂とは反対側(西側)には2001年竣工のダムがある。
ダムは海底のパイプラインを通じて小値賀島のかんがい用水として利用されてるのだそう。
新しいダムなので特に面白みはないけど、ひらけているので気持ちがいい。チャーター船はこっち側の港に着岸するので、周遊ツアーで来た人たちはここを通って教会堂に行く。
帰りの船は3時ごろなので、行きは車で通り抜けてしまった集落跡地を散策しながら船着場へ向かう。
歩きだと港と自然学塾村の間は30分ぐらいかなぁ。ガチの廃墟で結構道は悪い。
結構、っていうレベルじゃないか…
これもあと何年形を保ってるかわからない感じ。当たり前だけど危険なので勝手に中とか入っちゃダメ。
そしてそこかしこに野生の鹿がいる。
元神主さんの家だけが比較的ちゃんとした形を保っているのだけど、シーズンオフだからか閉まってて中は見学できなかった。
鳥居を見つけて行ってみたけど…
神社は完全に崩壊してた。狛犬だけが残ってる。
よくある「歴史的街並みの保存地区」とかとは空気感がぜんぜん違って、少し前まで人が暮らしていた街が、自然災害か爆撃かなんかで破壊されて人が消え建物だけが残ったみたいに見え、少し怖い。軍艦島とかもこんな空気感なのかなぁ…
港近くの少し突き出した半島状の草原にも野生の鹿がたくさん。自然学塾村の管理人もつとめる前田さんは、教会付近の鹿なら大体どの子がどの子がわかるんだそうだ。やはり個体によって好奇心旺盛な子とか臆病な子とか、性格も違うんだって。
向こうもこっちに興味ある。チラチラ見られてる。奈良公園の人馴れしすぎてがっついてくる鹿と違って、人間と野生動物のしかるべき距離感が維持されてるの気持ちいい。奈良公園のせいで鹿は怖いという刷り込みされてた私だけど、野生鹿はかわいかった。集落の中も鹿たちは自由に歩き回ってるので、たまにかなり近い距離で遭遇することもあるけど、餌を与えたりしてはダメ。
帰りのはまゆうは帰る人ばかりかなーと思ってたら、小さなお子さん連れのファミリーが着いた船から降りてきた。リピーターの宿泊客だそう。ちびさんは自然学塾村の人たちを見ると田舎の親戚にあったみたいにはしゃいでいて、何度も来てるんだなぁ、と微笑ましかった。
世界遺産に登録はされたものの、オフシーズンはこんな感じで静かな無人島っぽさを味わえるので、こういうのが好きな人は楽しいと思う。ただし、装備はほんとにきちんとしていく必要がある。怪我をしても野崎島には病院なんかないので、自分の面倒はちゃんと自分でみること、無理はしないことが大事だと思う。特に冬場は寒いので防寒対策はしっかりと。
映画をみてから一年半以上、見たいと思ってた風景にかなり近いものが見られたし、お天気もよかったし歩くの楽しかった。バイバイ野崎島。今度は泊りがけで来るねー。
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