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映画「ドルフィン・マン」観てきた。

リュック・ベッソンがアクション映画監督になる前の「サブウェイ」や「グランブルー」は、私が人生でおそらく一番洋画を観ていた10代の頃の名作で、世界的ヒット作となった「グランブルー」の主人公のモデルである素潜りの世界記録保持者、ジャック・マイヨールも、当時はたびたび雑誌の紙面を賑わしていた人だったので、2000年代に入り彼が自殺したことを知った時には、青春の終わりみたいなものをあらためて感じたものだった。

そのジャック・マイヨールの一生を彼の家族や友人知人のインタビューを交えて描いたドキュメンタリー映画がこの「ドルフィン・マン」だ。2017年製作。

吉祥寺のアップリンクで観てきたんだけど、何やらおまけのポストカードを貰った。

私は子供の頃から毎年「夏休み」というと、浅間山の麓の祖母の別荘にひと月近く預けられていて、家族で海水浴に行ったこともほとんどなく、関東近場の鎌倉や伊豆以外の海というものをほぼ知らずに育った。

ので、自分に子どもが生まれて沖縄旅行に行くまでは、海に「行きたい」とすら思ったことがなかったのだが、初めてまともに海に向き合ったのが沖縄の離島、宮古島のコバルトブルーの海(しかも観光客のほとんどいない北部に宿をとったためほぼプライベートビーチ)という【生まれて初めて飲んだシャンパンがドンペリ】状態だったので、余計に「海」に対するハードルが高くなってしまい、今日に至るまで「海」は身近な存在ではない。

でも、非常にスピリチュアルな位相で海に【魅せられる】人がいる、という感じがわかるような気がするのは、映画「グランブルー」とジャック・マイヨールのイメージが刷り込まれているからだろうと思う。それほど、当時のあの映画とマイヨールは、ダイビングに関する一般人のイメージに影響を与えた。

けれど私があまり彼自身の人生について詳しくないのは、私にとってはベッソンの映画があまりにも好きだったので、当時やたらとメディアに登場するジャック・マイヨール本人についての情報を逆にシャットダウンしていたせいもある。マイヨール本人は登場それぐらい「あれこれ出すぎ」の印象だった。主演のジャン・マルク・バールの儚げなイメージをぶち壊しにする、わりと暑苦しいおじさんだったのだ。

マイヨールは十代でバックパッカーとして世界に飛び出したコスモポリタンな青年で、一度は結婚もし子どもももうけたが離婚、その後得たパートナーを通り魔殺人で失い、さらにダイビングにのめり込んでいく。

マイヨールがヨガや禅をトレーニングに取り入れていたことは知ってたけど、彼が中国の租界生まれで幼少期からバカンスをしばしば日本で過ごし、そこで海女の素潜りに触れていたことなどは知らなかった。親日家だったことにはこうしたバックグラウンドもあるのだろう。

作品内では、映画のイメージとは若干異なる押しが強い陽性のキャラクターと、それでもやはりどこかしら人の世界に馴染みきれていない変わり者の孤独が、彼を知る人たちの口から語られる。

ジャン・マルク・バールがこのドキュメンタリーのナレーションを担当していて、ほんの少しだけインタビューにも登場する。当時と変わらない綺麗な瞳に感激したが、彼自身もこの映画でついたイメージのために、しばらく新しい作品に恵まれなかった俳優だ。

当時「露出しすぎ」に見えたジャック・マイヨールも同様に、フィクションである「グランブルー」のイメージに翻弄された人だったかもしれない。そう思うと、多くの人に「海」への憧れを抱かせ、ダイビングについてのイメージを変えたという大きな功績もありながら、関わった人の人生にも影響を与えた罪つくりな映画でもあったな…と思う。

彼の後半生にこれほど大きな影響を与えた作品の監督であるにも関わらず、リュック・ベッソンがこのドキュメンタリーのインタビューに【登場しない】という点も、なにかを物語っている気はする。

ドキュメンタリーとしては凡庸な作りで「必見」と呼べるほどの映画ではないと思うけど、マイヨールを通じて海や素潜りへの憧れを抱いた経験がある人なら観ておいていい作品だと思う。

個人的には、ショッキングな亡くなり方をしたマイヨールだったけれど、涙を浮かべつつも彼との思い出を宝物のように大切そうに語る日本の友人や、自分は彼に潜水の真髄を教わったのだと語る若いダイバーたちの満ち足りた表情を映像を通じて見ることで『決して孤独なだけの人生ではなかったのだ』と思えたので、よかったです。

#映画 #ドキュメンタリー #ドルフィンマン #グランブルー #ジャックマイヨール #ダイビング #海 #1911

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