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#田中舘愛橘

和樂webで掲載~高峰譲吉の交遊関係

和樂webで掲載~高峰譲吉の交遊関係

科学実業家の高峰譲吉。実は、交友関係がすごく広いのです。

<大隈重信> 少年時代長崎に留学していたころ、佐賀藩の藩校「到遠館」(ちえんかん)で学びました。ここで、現代の副校長に相当する立場で勤務していたのが、内閣総理大臣大隈重信。「高峰譲吉に英語を教えたのは、私だ!」と後年(鼻高々で?)言っていたそうです。

<高橋是清> 譲吉の社会人のスタートは、農商務省工務局。ここで特許行政に関わります。初

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和樂webで掲載~原敬首相と田中舘愛橘博士の友情

和樂webで掲載~原敬首相と田中舘愛橘博士の友情

物理学者の田中舘愛橘博士。同じ岩手県出身の原敬首相とは終生仲が良かったようです。

写真は、第19代内閣総理大臣原敬。日本初の政党政治を結成。爵位を持たなかったため「平民宰相」呼ばれました。(国立国会図書館デジタルコレクション収載)

藩校で学んだ後もお互い東京に出て来て、交流を深めました。愛橘博士が海外に行ったときも会ったりしたようです。

愛橘博士は度量衡法(尺貫法をメートル法に統一)の改正に

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和樂webで掲載~シングルファザーの田中舘愛橘博士

和樂webで掲載~シングルファザーの田中舘愛橘博士

前回紹介した、物理学者の田中舘愛橘博士。30代半ばで結婚して、妻は翌年出産。女児が生まれるのですが、妻は産後15日ほどで亡くなりました。
愛橘博士はその後独身を貫き、シングルファザーになるのですが、それにはいろいろありました。

愛橘博士は6歳の時に生母と死別。父は再婚したものの、その妻(愛橘博士の継母)とも死別。その後さらに再婚。
愛橘博士は、辛い思いはしなかったようですが、子ども心にも気を遣っ

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和樂webで掲載~日本物理学の父、田中館愛橘(たなかだて あいきつ)の生涯

和樂webで掲載~日本物理学の父、田中館愛橘(たなかだて あいきつ)の生涯

真鍋叔郎さんがノーベル物理学賞を受賞されました。おめでとうございます!
これを受けて、日本の物理学の基礎を築いた田中館愛橘(たなかだてあいきつ)博士の生涯を記事にしました。

ちなみに。苗字が田中舘で名前が愛橘です。

出生時、父親が別の名前で届けたのですが、(住んでいた)南部藩主の家族の名前と重なっていたからと役所に受理されず。そこで、代官が中国の故事にちなんだ名前(重ならないように)名前を付け

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