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もう会えない、私たち家族へ。

先週の金曜、夫とディナーに出かけた。12th Ave grill という、そんなに気取ってないけどなにを食べてもいつも手堅く美味しい、まわりの住民にとって、今日はちょっと美味しいものを食べに行こうか、そんな時に行く街の食堂、という感じのレストラン。どのサービスの人もキビキビしていて気持ちいいし、黒板に書かれたその日のスペシャルにも外れがない。

夫婦ふたりで、週末の始まりの金曜の夜、やれやれという感じでのんびりワインを飲みながらオーダーしたご飯を待っていた。

ふと見ると、となりのテーブルに5人家族が座っていた。アジアンの、ハワイローカルのファミリーだ。チャイニーズ系だろうか。見た目や漏れ聞こえてくる英語からはわからない。

もうご飯は終わりかけでデザートをいくつか頼んでシェアしている。

お父さんと、お母さんと、息子と娘ふたり。

お父さんは50代前半、お母さんはお父さんより何歳か年下だろうか。娘さんたちと息子さんは、中学生、高校生、大学生、という感じ。お父さんはボタンダウンのチェックのシャツ。お母さんは黒いトップス。子供たちは普通にカジュアルブランドのTシャツとかを着ていて、学校にもまじめに通ってそうな、いい子そうな子供たち。どこにでもいる、ちゃんとした、普通の家族。

大きいほうの娘さんとお母さんが隣同士に座り、テーブルの反対側にはもう1人の娘さんと息子さんとお父さんが座っていた。

お父さんとお母さんが隣同士に座らないのが、アジア人の両親らしい。白人のアメリカ人カップルならば、そして子供たちがこのくらいの年齢ならば、夫婦は隣同士で座るところだろう。

うちの家族は、この家族と同じ構成の、五人家族だった。わたしたち家族が、この家族くらいの年齢だったのは何年ぐらいまえのことだろう。いまのわたしはきっとこのお母さんと同じくらいの年齢だ。わたしにこのくらいの歳の子供たちがいても全然おかしくない。

自分が覚えているあの頃の父や母と、いま自分が同世代になってしまうなんて、不思議だ。

それにしても。

私たち家族がこうして外食に出かけた夜、いったいなにを話していただろう?

うちの父は「学校はどうだい?」と尋ねるようなタイプではなかったし、会社のことを家庭に持ち込むタイプでもなかった。わたしたちは、あのころ、いったいなにを話していたんだろう?

父が死んで5年経つが、父と二人で話したことはよく覚えているのだ。高校生のころ、二人で観に行った映画をけなしながら、車で帰ってきたこと。父の本棚から抜き出して読みまくった本についての感想。

だけど、家族五人が一緒にいた時に、わたしたちはなにを話していたのか、なにも思い出せないのだ。

となりのテーブルでは、大きい娘さんがお母さんと、女同士の話、といった感じで話し込んでいる。もう一人の娘さんと息子さんは、ふざけあってケラケラと笑っている。お父さんは黙って座っている。

お父さん。口数の少ないお父さんのいる家族。

そうしているうちに、そのお父さんは、サーバーに空中に何かを書く合図をして、チェックを頼んだ。

トニー、という名前の年季のはいったサーバーのおじさんが、チェックをお父さんのところに持ってきた。二言三言、二人は言葉を交わして、トニーはお父さんの腕をぽんぽん、と叩いて、チェックを持って去った。そのアジア人のお父さんは、家族全員分の支払いを済ませた。家族のだれひとり、お父さんを見ていない、その間に。 


わたしがなにひとつはっきりと思い出せない、私たち家族が、食事の時に交わした会話。

私たち家族がご飯を食べて、当たり前のようにお父さんが支払いを済ませてくれたこと。

もう五人でご飯を食べることはない、ということ。

もう失われてしまった、もう会うことのない私たち五人家族のことを、見知らぬアジア人の家族を見ながら、わたしは急に恋しく思ったのだった。



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