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障害の社会モデルと環世界の創出 "目の見えない人は世界をどう見ているのか4/4"

(毎日読んでくれいている方は読み飛ばして下さい) 
 珍しく、少し自分語りから始めます。yohaku Co.,Ltd.のメンバーのShiryuです。私は8-9歳頃から特別支援学級にいる友人が、他の同世代の友人と遊べるゲームが無かったという理由でプログラミングを勉強し始めました。それ以来、あらゆる障害があっても(社会モデルの障害の概念を大切にしているので障害は漢字表記することが殆どです)、選択肢が当たり前にある世界をテクノロジーで追求し続けた10代でした。20代はまた違うアプローチを試し続けましたが、その間に触れた伊藤亜紗さんの著書は私に環世界的気づきも与えてくれました。

そうした背景もあり、この4日間はいつも取り上げる本とはテイストが異なります。身近に障害のある方がいない人にこそ、読んで欲しいなと思い執筆しています!お時間を頂ければ幸いです。


障害の社会モデルの再考

 伊藤亜紗さんの著作は、障害の捉え方に関する従来の枠組みに挑戦を投げかけています。特に、「障害の社会モデル」に新たな視点を提供しています。障害の社会モデルは、障害を個人の身体的特徴ではなく、社会的障壁の結果として捉える考え方です。しかし、伊藤さんの研究は、この考え方をさらに進めて、障害を単なる「克服すべき問題」としてではなく、世界を理解する独自の方法として捉え直すことを提案しています。

伊藤さんは『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015)で次のように述べています。

「視覚障害は、単なる不便さや社会的障壁の結果ではありません。それは世界を理解し、経験する独自の方法なのです。この経験を通じて、視覚に障害のある方は晴眼者とは異なる洞察や価値観を得ることができます。」

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

この視点は、障害学者トム・シェイクスピア(Tom Shakespeare, 1966-)の「相互作用モデル」と共鳴します。シェイクスピアは著書『Disability Rights and Wrongs Revisited』(2013)で、障害を個人と環境の相互作用の結果として捉える必要性を主張しました。

「障害は、個人の特性と環境要因の複雑な相互作用の結果である。それは単純に社会的抑圧の結果としても、純粋に個人的な悲劇としても理解できない。」

Disability Rights and Wrongs Revisited

伊藤さんの研究は、このシェイクスピアの考えをさらに発展させ、障害を単なる「問題」ではなく、世界を理解する独自の「視点」として捉え直すことを提案しています。これは、障害の概念そのものを再定義し、多様性の一形態として積極的に評価する新たなアプローチを示唆しています。

さらに、哲学者のエリザベス・バーンズ(Elizabeth Barnes)は、著書『The Minority Body: A Theory of Disability』(2016)で、障害を「単なる違い」として捉える見方を提唱しています。バーンズは、障害が必ずしも不利益や欠損を意味するものではなく、むしろ人間の多様性の一形態として理解されるべきだと主張しています。

感覚の多様性と認識論的挑戦

 視覚に障害のある方の経験は、人間の認識の多様性に関する深い洞察を提供します。伊藤さんは、視覚に障害のある方の世界認識が、私たちの認識論的前提に根本的な挑戦を投げかけていると指摘します。これは単に「異なる」認識方法というだけでなく、認識そのものの本質に関する問いを提起しているのです。伊藤さんの『手の倫理』(2020)をまた引用します。

「視覚に障害のある方の認識は、私たちに『見ること』の意味を問い直させます。それは、視覚中心主義的な世界観を相対化し、人間の認識の多様性と可能性を示唆しているのです。」

『手の倫理』

この洞察は、認知哲学者アルヴァ・ノエ(Alva Noë, 1964-)の「行為としての知覚」理論と深く結びついています。ノエは著書『知覚のなかの行為』(2004)で、知覚が単なる受動的な情報受容ではなく、環境との能動的な相互作用であることを主張しました。

「知覚は、世界との動的な関わりの中で生じる。それは頭の中で起こるプロセスではなく、世界の中で行う何かである。」

『知覚のなかの行為』

視覚に障害のある方の経験は、このノエの理論を極めて具体的な形で体現しています。彼らは視覚以外の感覚を通じて、世界と能動的に関わり、独自の認識の枠組みを構築しているのです。

さらに、神経科学者のデイビッド・イーグルマン(David Eagleman)は、著書『The Brain: The Story of You』(2015)で、脳の可塑性と感覚代替の可能性について論じています。イーグルマンの研究は、人間の脳が驚くべき適応能力を持ち、異なる感覚モダリティを通じて世界を理解できることを示しています。

これらの洞察は、認識の多様性を尊重し、異なる感覚経験を持つ人々の視点を積極的に取り入れることの重要性を示唆しています。それは、人間の認識能力の可能性を拡張し、より豊かな世界理解につながる可能性を秘めているのではないでしょうか。

テクノロジーと障害の未来

 視覚に障害のある方の経験は、福祉支援機器をはじめとする支援技術の開発にも重要な示唆を与えています。伊藤さんは、単に視覚情報を他の感覚に「翻訳」するだけでなく、視覚に障害のある方独自の世界認識を尊重し、それを拡張するような技術の可能性を示唆しています。

「視覚に障害のある方に必要なのは、単に視覚情報を音声に変換する装置ではありません。むしろ、彼らの非視覚的な世界認識を拡張し、新たな可能性を開く技術が求められているのです。」

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

視覚に障害のある方のための新たな支援技術は、単なる「補助」装置ではなく、視覚に障害のある方の認知を積極的に拡張し、新たな世界認識の可能性を開くものとなるでしょう。

具体的な例として、神経科学者のポール・バッチ=イ=リタ(Paul Bach-y-Rita)が開発した「舌の上のディスプレイ」技術が挙げられます。この技術は、カメラが捉えた視覚情報を舌の上の電極アレイを通じて触覚刺激に変換し、視覚に障害のある方が環境を「見る」ことを可能にします。バッチ=イ=リタの研究は、脳の可塑性と感覚代替の可能性を示す重要な例となっています。

倫理的考察と社会的責任

 視覚に障害のある方の経験から得られる洞察は、私たちの倫理的考察と社会的責任にも重要な示唆を与えます。伊藤さんは、多様な世界認識を尊重し、それぞれの独自性を活かすような社会の構築の必要性を強調しています。

「視覚に障害のある方の経験を理解することは、単に彼らを『支援』するためだけではありません。それは、私たち自身の世界認識を豊かにし、より包括的で創造的な社会を作り出すための重要な一歩なのです。」

『手の倫理』

この視点は、哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha Nussbaum)の「ケイパビリティ・アプローチ」とも共鳴します。ヌスバウムは著書『Creating Capabilities: The Human Development Approach』(2011)で、個人の能力を最大限に発揮できる社会環境の重要性を強調しています。

「社会の正義は、個人が自身の能力を十分に発揮し、価値ある人生を送ることができるかどうかによって測られるべきである。」

『Creating Capabilities: The Human Development Approach』

視覚に障害のある方の経験を理解し、彼らの独自の能力を尊重することは、このヌスバウムの主張する社会正義の実現に向けた重要なステップと言えるでしょう。

さらに、障害学者のロザリー・ガーランド=トムソン(Rosemarie Garland-Thomson)は、著書『Extraordinary Bodies: Figuring Physical Disability in American Culture and Literature』(1997)で、「障害の文化的モデル」を提唱しています。ガーランド=トムソンは、障害を単なる医学的な問題や社会的障壁の結果としてではなく、文化的アイデンティティの一形態として捉えることの重要性を主張しています。

この視点は、視覚に障害のある方の経験を、人間の多様性を示す貴重な文化的資源として評価することにつながります。それは、社会全体の文化的豊かさを増進し、より包括的で創造的な社会の実現に寄与する可能性を秘めているのではないでしょうか。日本においてもこうした研究がより進むことを願ってやみません。

教育と啓発の重要性

 視覚に障害のある方の経験から得られる洞察を社会に浸透させるためには、教育と啓発が不可欠です。伊藤さんは、多様な感覚経験と世界認識を理解し、尊重する態度を育む教育の重要性を強調しています。伊藤さんは『どもる体』(2018)で次のように述べています。

「多様性を尊重する社会を作るためには、子どもの頃から異なる感覚経験や世界認識に触れる機会が必要です。それは、自分とは異なる存在を理解し、共感する力を育むことにつながります。」

『どもる体』

この視点は、教育哲学者のネル・ノディングズ(Nel Noddings)の「ケアの倫理」とも共鳴します。ノディングズは著書『Caring: A Relational Approach to Ethics and Moral Education』(2013)で、他者への共感と理解を育む教育の重要性を主張しています。

「教育の目的は、単に知識を伝達することではなく、他者を理解し、ケアする能力を育むことにある。」

『Caring: A Relational Approach to Ethics and Moral Education』

視覚に障害のある方の経験を理解し、共感する能力を育むことは、このノディングズの主張する教育の理想に沿うものと言えるでしょう。

具体的な教育実践の例として、イギリスの「Blind Art Project」が挙げられます。このプロジェクトは、視覚に障害のある芸術家と晴眼の学生が協働で作品を制作することを通じて、相互理解と創造性の促進を目指しています。このような取り組みは、異なる感覚経験を持つ人々の間の対話と共創を促進し、社会全体の多様性理解を深める効果があります。

また、メディアの役割も重要です。ジャーナリストのジョセフ・P・シャピロ(Joseph P. Shapiro)は、著書『No Pity: People with Disabilities Forging a New Civil Rights Movement』(1994)で、障害者の表象がメディアにおいてどのように変化してきたかを分析しています。シャピロは、ステレオタイプ的な表現から、より多様で現実的な表現への移行の重要性を指摘しています。

視覚に障害のある方の経験や視点をより積極的にメディアで取り上げ、社会に伝えていくことは、多様性理解と社会的包摂の促進に大きく寄与するでしょう。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

 伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を中心とした本分析は、視覚に障害のある方の経験が、単に「障害」の問題にとどまらず、人間の認識、コミュニケーション、文化、そして社会のあり方に関する根本的な問いを投げかけていることを明らかにしました。

視覚に障害のある方の空間認識と感覚経験は、メルロ=ポンティの身体現象学やベルクソンの時間論と深く結びつき、私たちの知覚と存在の本質に新たな光を当てています。彼らの言語とコミュニケーションは、レイコフとジョンソンの認知言語学やブーバーの対話哲学に新たな視点を提供し、人間のコミュニケーション能力の多様性と可塑性を示しています。

さらに、視覚に障害のある方の文化とQOLに関する考察は、アイデンティティ形成や自己実現の問題に新たな視点を提供し、社会的包摂と教育の重要性を浮き彫りにしています。そして、これらの洞察は障害の概念、人間の認識、そしてテクノロジーの未来に関する深い示唆を与えており、シェイクスピアの障害学やクラークの拡張認知理論と共鳴しながら、より包括的で創造的な社会の可能性を示唆しています。

これらの考察は、私たち全ての社会に重要な問いを投げかけています。多様な世界認識を尊重し、それぞれの独自性を活かすような社会をどのように構築できるでしょうか。また、そのような社会において、テクノロジーはどのような役割を果たすべきでしょうか。教育や啓発活動を通じて、これらの洞察をどのように社会に浸透させていくことができるでしょうか。

視覚に障害のある方の経験から学ぶことで、私たちは「見る」ことの意味を再考し、世界との関わり方の新たな可能性を探ることができます。この過程で、私たちは自身の認識の限界を超え、より豊かで多様な世界理解への道を開くことができるでしょう。それは単に視覚に障害のある方への理解を深めるだけでなく、人間存在の本質と可能性に対する深い洞察を得ることにつながるのです。

変身して見る環世界

 最後に、伊藤さんの研究が示唆するように、視覚に障害のある方の経験を理解し尊重することは、私たち全ての人間にとってより豊かで創造的な世界の可能性を開くものだということを強調したいと思います。それは、多様性を単なる「違い」として認識するのではなく、人間の経験と理解の幅を広げる貴重な機会として捉え直すことを意味します。このような視点に立つとき、私たちは真の意味での包括的社会、すなわち全ての人々の独自の能力と視点が尊重され、活かされる社会の実現に一歩近づくことができるのではないでしょうか。

伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は、視覚障害者の経験世界を探求することで、私たちの「見る」という行為そのものを根本から問い直す画期的な著作です。本書を通じて伊藤さんが提示する視点は、単に視覚障害者理解にとどまらず、人間の認識と存在の本質、そして社会のあり方に関する深遠な問いを投げかけています。

最近の読書体験で印象深かったのは、自然の中でデジタルデバイスから離れて読書をした時間でした。川のせせらぎと焚き火の音に包まれながら読書をする経験は、本の内容はもちろんのこと、自分自身の思索のための貴重な時間となりました。このような経験は、伊藤さんが強調する「異なる感覚経験」の重要性を実感させてくれるものでした。

私たちyohaku Co., Ltd.では、読書だけでなく、Open DialogやSelf Coachingといったサービスを通じて、「自分で考える」ことを前提とした対話と実践の場を提供しています。伊藤さんの研究が示唆するように、多様な経験と視点を持つ人々との対話は、私たち自身の世界認識を豊かにし、より創造的な思考を促す可能性を秘めています。

私たちは、伊藤さんの研究やヒルティの幸福論から現代の最新の知見まで、幅広い視点を取り入れながら、皆さまの内面への気づきと物理的、精神的な余白を生み出すサポートを続けていきたいと考えています。日々の生活の中に「余白」を見出し、より豊かで幸福な人生を築いていくお手伝いができれば幸いです。


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