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触れるアートと感じる言葉 "目の見えない人は世界をどう見ているのか3/4"

(毎日読んでくれいている方は読み飛ばして下さい) 
 珍しく、少し自分語りから始めます。yohaku Co.,Ltd.のメンバーのShiryuです。私は8-9歳頃から特別支援学級にいる友人が、他の同世代の友人と遊べるゲームが無かったという理由でプログラミングを勉強し始めました。それ以来、あらゆる障害があっても(社会モデルの障害の概念を大切にしているので障害は漢字表記することが殆どです)、選択肢が当たり前にある世界をテクノロジーで追求し続けた10代でした。20代はまた違うアプローチを試し続けましたが、その間に触れた伊藤亜紗さんの著書は私に環世界的気づきも与えてくれました。

そうした背景もあり、この4日間はいつも取り上げる本とはテイストが異なります。身近に障害のある方がいない人にこそ、読んで欲しいなと思い執筆しています!お時間を頂ければ幸いです。


視覚障害文化の形成と発展

 視覚に障害のある方の独特の世界認識とコミュニケーション方法は、独自の文化の形成にも繋がっています。この「視覚障害文化」は、単に視覚情報の欠如によって特徴づけられるものではなく、独自の価値観、芸術表現、社会的規範を持つ豊かな文化的世界です。

伊藤亜紗さんは『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015)で、次のように述べています。

「視覚に障害のある方の文化は、『欠如』の文化ではなく、『異なる豊かさ』の文化です。それは視覚中心主義的な社会に対する重要な問いかけであり、人間の経験の多様性を示す貴重な例なのです。」

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

この視点は、障害学者のパディ・ラヴァル(Paddy Laval)の「障害文化」概念とも共鳴します。ラヴァルは著書『Understanding Disability Policies』(2015)で、障害者コミュニティが形成する独自の文化的アイデンティティの重要性を強調しています。

視覚障害文化の特徴の一つとして、触覚芸術の発展が挙げられます。例えば、視覚に障害のある彫刻家のマイケル・ナイマン(Michael Naiman)は、触覚を通じて鑑賞される彫刻作品を制作しています。ナイマンの作品は、視覚に依存しない芸術表現の可能性を示す重要な例となっています。

また、視覚に障害のある作家のジョージナ・クリーク(Georgina Kleege)は、著書『More than Meets the Eye: What Blindness Brings to Art』(2018)で、視覚に障害のある方の美術鑑賞経験について詳細に論じています。クリークは、触覚や音声ガイド、詳細な言語的描写などを通じた美術鑑賞が、作品の新たな側面を浮かび上がらせる可能性を指摘しており、世界的にもあらゆる文化において視覚に障害のある方に向けた体験の設計などが行われています。

QOLの再定義と向上

 視覚に障害のある方のQOL(Quality of Life, 生活の質)は、しばしば視覚中心主義的な基準で評価されがちです。しかし、伊藤さんの研究は、QOLの概念自体を再考する必要性を示唆しています。伊藤さんは『手の倫理』(2020)で次のように述べています。

「QOLは単一の尺度で測れるものではありません。視覚に障害のある方のQOLを考える際には、彼らの独自の世界認識や価値観を理解し、尊重することが不可欠です。」

『手の倫理』

この視点は、WHO(世界保健機関)が提唱する「ICF(国際生活機能分類)」の概念とも整合します。ICFは、個人の健康状態を身体機能だけでなく、活動や参加の側面からも評価することを提案しています。

視覚に障害のある方のQOL向上に関する研究として、心理学者のロバート・A・スコット(Robert A. Scott)の研究("The Making of Blind Men: A Study of Adult Socialization", 1969)が挙げられます。スコットは、視覚障害者のQOLが社会的要因によって大きく影響されることを指摘し、社会の態度変容の重要性を強調しました。

また、最近の研究では、視覚に障害のある方の就労支援や教育機会の拡大がQOL向上に大きく寄与することが示されています。例えば、教育学者のカレン・ウォルフ(Karen Wolffe)の研究("Career Education for Students with Visual Impairments", Journal of Visual Impairment & Blindness, 2019)は、キャリア教育が視覚に障害のある学生のQOL向上に重要な役割を果たすことを示しており、大変興味深いものになっています。

テクノロジーとアクセシビリティ

 視覚に障害のある方の文化とQOLにおいて、テクノロジーとアクセシビリティの問題は極めて重要です。伊藤さんは、単に視覚情報を他の感覚に「翻訳」するだけでなく、視覚に障害のある方独自の世界認識を尊重し、それを拡張するような技術の可能性を示唆しています。伊藤さんは本書の中で、次のように述べています。

「アクセシビリティ技術は、単に情報へのアクセスを可能にするだけでなく、視覚に障害のある方の独自の世界認識を尊重し、拡張するものでなければなりません。それは、多様な経験の可能性を開くツールなのです。」

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

この視点は、支援技術研究者のアラン・ダイ(Alan Dix)の「適応的インターフェース」の概念とも共鳴します。ダイは著書『Human-Computer Interaction』(2004)で、ユーザーの多様なニーズに柔軟に対応できるインターフェースの重要性を強調しています。

具体的な技術開発の例として、触覚フィードバックを利用したナビゲーションシステムが挙げられます。例えば、コンピュータサイエンティストのロバート・ジェイコブ(Robert Jacob)らの研究("Wearable Haptics for Cross-Modal Sensory Augmentation", CHI '19: Proceedings of the 2019 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems, 2019)は、触覚フィードバックを用いた歩行支援システムの開発を報告しています。このシステムは、視覚に障害のある方の空間認識を拡張し、より自由な移動を可能にする可能性を示しています。

また、人工知能(AI)技術の発展も、視覚に障害のある方のアクセシビリティに新たな可能性をもたらしています。例えば、画像認識AIを用いた環境描写システムの開発が進んでいます。コンピュータビジョン研究者のダフネ・コラー(Daphne Koller)らの研究("Seeing AI: A Free App That Narrates the Visual World", 2018)は、スマートフォンのカメラを通じて周囲の環境を音声で説明するアプリケーションの開発を報告しています。

昨日OCR技術やAI音声翻訳の発展により英語の本も読みやすくなった、と話をしましたがそれらも日常に浸透しています。エクリチュールを読むという意味で、自分が理解できない言語を理解しようとする時、ある種視覚に障害のある方と同じようにその目の前にあるエクリチュールを理解できない、という状況になることはよくあります。これらがテクノロジーにより境界が曖昧になっていく現代において、必要な行動は少しの能動性ではないでしょうか。

社会的包摂と教育

視覚に障害のある方の文化とQOLの向上には、社会的包摂と適切な教育が不可欠です。伊藤さんは、視覚に障害のある方の独自の経験や能力を活かした教育の重要性を強調しています。伊藤さんは『どもる体』(2018)で次のように述べています。

「教育は、視覚に障害のある方の『欠損』を補うものではなく、彼らの独自の能力や視点を伸ばし、社会に活かすためのものであるべきです。それは、多様性を尊重し、創造性を育む教育なのです。」

『どもる体』

この視点は、インクルーシブ教育の理念と深く結びついています。教育学者のトニー・ブース(Tony Booth)とメル・エインスコウ(Mel Ainscow)は、著書『Index for Inclusion』(2002)で、すべての学習者の多様性を尊重し、学習への参加を促進する教育環境の重要性を強調しています。

視覚に障害のある方の教育に関する具体的な研究として、教育学者のキャロル・B・アルヴァーソン(Carol B. Allman)の研究("Making Mathematics Accessible to Students with Visual Impairments", Journal of Visual Impairment & Blindness, 2009)が挙げられます。アルヴァーソンは、触覚教材や音声ガイダンスを活用した数学教育の方法を提案し、視覚に障害のある学生の数学的思考力の向上を報告しています。

また、社会的包摂の観点から、雇用の問題も重要です。労働経済学者のダグラス・クルーゲ(Douglas Kruse)らの研究("Employment of People with Disabilities Following the ADA", Industrial Relations, 2018)は、障害者差別禁止法(ADA)施行後の視覚に障害のある方の雇用状況を分析し、法的保護と職場環境の改善が雇用機会の増加に寄与することを示しています。

さらに、視覚に障害のある方自身による社会参加の取り組みも注目されています。自身の経験を基に視覚障害者の社会参加促進のための提言を行っている方は多くいらっしゃいます。視覚に障害のある方の能力を活かした新たな職業創出や、バリアフリー環境の整備などの提案は当たり前でありつつ、身近な場所でそれが行われているかは考えたい点ではないでしょうか。

アイデンティティと自己実現

 視覚に障害のある方の文化とQOLを考える上で、アイデンティティと自己実現の問題は極めて重要です。伊藤さんは、視覚障害を単なる「欠損」ではなく、独自の世界認識と能力を持つ存在としてのアイデンティティ形成の重要性を指摘しています。伊藤さんは『手の倫理』(2020)で次のように述べています。

「視覚に障害のある方のアイデンティティは、『見えない』ことを中心に形成されるのではありません。それは、独自の感覚経験や能力、そして社会との関わり方を通じて形成される多面的なものなのです。」

『手の倫理』

この視点は、心理学者のエリック・エリクソン(Erik Erikson)のアイデンティティ理論とも共鳴します。エリクソンは著書『アイデンティティ:青年と危機』(1968)で、アイデンティティが社会との相互作用を通じて形成されることを強調しています。

視覚に障害のある方のアイデンティティ形成に関する具体的な研究として、心理学者のデボラ・ゴールド(Deborah Gold)の研究("The Social Construction of Blind Identity", Journal of Visual Impairment & Blindness, 2015)が挙げられます。ゴールドは、視覚に障害のある方のアイデンティティが、社会的相互作用や文化的要因によって大きく影響されることを示し、肯定的なアイデンティティ形成のための社会的支援の重要性を指摘しています。

自己実現の観点からは、視覚に障害のある方の芸術活動や創造的表現が注目されています。例えば、全盲の音楽家スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)は、その独創的な音楽性で世界的に評価されています。ワンダーの音楽は、視覚に頼らない感性と創造性の可能性を示す重要な例となってい流ことはとても有名でしょう。

また、視覚に障害のある写真家のピート・エッカート(Pete Eckert)は、自身の内なるビジョンを光の軌跡として表現する独自の写真技法で注目を集めています。エッカートの作品は、視覚障害者の創造的表現の可能性を示すとともに、「見ること」の本質に新たな問いを投げかけています。

視覚情報へのアクセスを超えて必要な洞察

 視覚に障害のある方の文化とQOLは、単に視覚情報へのアクセスの問題ではなく、独自の世界認識、価値観、創造性を含む多面的な問題であることが分かります。彼らの経験は、人間の多様性と可能性を示す重要な例であり、社会全体にとっても貴重な洞察を提供しているのです。

明日はいよいよ本書の最終回として、これらの洞察が障害の哲学と社会的含意にどのような影響を与えるかを一緒に考えていきましょう。


コーチングセッションに拘る理由は、私の父が引きこもりというスティグマと社会側のアンコンシャスバイアスから脱することができた手法だからです。日々の生活に違和感を持っている方は一度お話しましょう。

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