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【ソウウツ通信】躁たぬきは家を買う。【6】

 DIYとかクラフトとかセルフビルドとか。
 【5】でたぬきは「衣食住」の自分で賄え、我慢できる快適性の限界点を考えてみた。
 躁鬱人であるたぬきは、いつも人生と言うか、これからの暮らしと言うか、将来と言うか、生活への不安が付きまとっている。端的に言えばお金のことなのかもしれない。
 公務員として働いていたたぬきは、そりゃあもう、ふつうのサラリーマンとしての自覚はあったので、毎月毎月いくらいくら稼いで、そのお金で月々の支払いをして、ローンを組んでいずれは家を買って・・・そうするには自由になるお金はうんぬん・・・などと考えていた。
 だけれどたぬきはふつうのサラリーマンじゃなかった。躁鬱サラリーマンだったのだ。
 役所を辞めたとき、翌年の税金が払えなくなった。そののちに働いた設計事務所はバイトだったので、とてもじゃないけれど賄えない。
 社会福祉的なもののお世話になろうと役所(元職場ということで気が引けた)に相談に行ってみたものの、躁状態で家を買っていたので、持ち家がある場合は、そういうのは受けられないとのことだった。
 雨漏りだらけの築110年のボロ家なのに・・・。
 と、まあこんな感じに悩んだのだが、たぬきはどうにかこうにかお金を工面して税金を納めた。
 たぬきは毎月安定してお金が受け取れるサラリーマンをよしてから、お金との付き合い方をもう少し考えることにした。何をするにもお金が必要だ!・・・なんて言うけれど、田舎住まいのたぬき。実はあんまりお金を使わなくても楽しく暮らせるというのがだんだんとわかってきたのである。
 それは【5】で述べた通り、躁状態のゾーン時の行動で後のダメージは甚大だったが、「衣食住」の限界点に挑戦することによって、「最低ライン」に必要な金額を知ることができた。
 結論的には「全然お金必要ない」と言うことだ。
 これは「躁の後の鬱」というデメリットを許容してもなお余りある(と、今は思えるが鬱時は激しく後悔した。)経験と言えた。
 これは家を買った後に思い至ったたぬきの「衣食住とお金」の話である。
 たぬきはその前に家を買っていた。まだ役所にいたころの話だ。
 「衣食住」の話は【5】の繰り返しになっちゃうような気もするので、今回は主に家を買ったときの話をしようと思っている。
 たぬきは最初、変な精神科にかかった。評判のいい病院はどこも初診はひと月以上、なんなら3ヶ月もあとしか予約が入れられなく、死にそうだったたぬきは予約不要の病院に行くしかなかったのである。
 ふつう精神科の初診は30分くらいの診察をするのが通例のようである。だけれど、たぬきが始めてかかった精神科は初診から5分程度の診察だった。それで統合失調症と診断されたらしい。後に分かった。
 ちなみにたぬきは統合失調症(半年ほど)・・・いや実は全然統合失調症でなく鬱病(10年間)・・・かと思いきやどうやら話を聞いていると躁鬱病(最近)・・・と病名が変わった。精神科の診断は難しいらしく、診断名が変わることは結構あるようだけれど、症状から見て統合失調症は全然違うと当時も今も思っている。
 当然薬が合うはずも無く、薬を飲めば飲むほど体調が悪くなった。その旨を次回の診察時に伝えると、同じ薬の処方量がどんどん増えて行った。当然あってない薬なんだから飲めば飲むほど体調が悪化する。
 たぬきは毒を飲んでる気分だった。それでも良薬口に苦しというか、毒も使い方によっては薬になるんだと思って頑張って服薬していたのである。
 結果的にたぬきは1年くらいを無駄に過ごした。この最初の病院によってさらに体調が悪化し、過呼吸になり、実家に逃げ込んだのである。3日に一度ジュースを飲むくらいしか食欲も無くなり、死にかけたからである。
 明らかにこの病院の治療はおかしい。そこで実家に帰るというのを口実にして転院しようとしたからであった。
 通院によってゼロどころかさらにマイナスになってしまったたぬきはそのあとかなりの時間をかけてゼロに戻し、そこからやっと寛解へ向けて歩むことになった。
 このころはまだ役所に所属していた。2年働き鬱になり、休職していたのである。
 休職して1年半ほどしたころに、なんとかたぬきは実家から一人暮らしをしていたアパートに帰ることができ、徐々にではあるが職場に顔を出して復帰への道を歩み始めた。
 病み上がりということで、大きな仕事も与えられず、徐々に職場に慣れさせるという意味で当初は半日勤務とかそういう感じだったのである。
 たぬきは休職中は傷病手当だったと思うが、そういったもので何とか暮らしていたのであるが、通院や、生活リズムを直すために毎日通わされたデイケアなどでどんどんお金が無くなって行った。
 その頃、たぬきはせっせと奨学金も返していたし、役所のある街ではアパートを借りっぱなしにしていたので、家賃も毎月かかっている。
 たぬきはその時、へんな結論に至った。
 「家賃って払えなくなったら、家が無くなるってことだよね。こんな病気になっちゃって、今後毎月安定した収入が得られるとは思えない。そうだ、家を買えば最悪雨風凌げるじゃん!」
 と。
 たぬきは、復職する前から、どうせ鬱は再発していずれは役所を辞めることになるだろうな・・・とうすうす気が付いていたのである。
 そして、そうなると収入が不安定になるのは必至だから、「なぜか!」家を買おうという思いに至ったのである。
 今考えたら奨学金の返済猶予制度を使うとか、もっと安いアパートに引っ越すとかそういった選択肢もあると思うのだが、たぬきはそんなことアウトオブ眼中だったのである。
 躁鬱人は極端な結論に至りやすいらしい。
 たぬきは復職してから、家を探し始めた。
 新築なんて高いので、中古住宅を探した。
 そこで見つけたのが明治40年築という古民家である。めちゃ安い。
 たぬきは大学時代古民家が好きなのを思い出した。鬱になってあらゆるものに興味を失っていたところに、一条の光が差し込めた感じだった。そうだ、僕はこんなことに興味があったんだった!と。
 たぬきはもう一度この世に生まれたような感動を覚えた。
 ビビッと来た。運命を感じた。
 この、ビビッと来ちゃうのは躁状態、ゾーンへの突入への引き金である。
 たぬきは思った。家を買えば仕事ができない状態になってもとりあえず住むところには困らない。古民家も好きだった。DIYなんかもしてみたいと思っていた・・・と。
 そこからは光の速さである。
 家賃と同じでローンが払えなくなったら住むところを失うのは同じじゃないかという考えは無い。もうこうなったらどうしてもこの古民家が欲しいのである。とにかく欲しい。古民家が欲しい。今すぐ欲しい。
 夢は無限大に広がって行った。
 ここをこう直して・・・となまじ図面を引けることから計画をどんどん推し進めていった。
 たぬきはすぐに古民家を見学しに行き、銀行にローンの申し込みをし、嫌悪していた35年ローンを組んで家を買った。
 そこからもたぬきのほとばしる躁エネルギーは収まることを知らない。
 雨漏りをし、ぼろぼろの古民家をどうにか最低限住めるような空間にすべくやったこともないDIY作業に入ったのである。
 復職して間もなく、まだ責任の大きい仕事を与えられなかったものの、この時点ではすでにフルタイムで勤務をしていたのである。
 たぬきは、仕事を終えて我が家になった古民家に帰ると、夕飯をインスタントラーメンなどで済まし、空が白むまで修繕を繰り返した。そしてほとんど眠らない状態でまた仕事に行ったのである。
 半年間だ。
 躁のエネルギーの放出は恐ろしい。
 その頃のたぬきの病名は「鬱病」であった。なので、躁状態の危険さを医者も自分も認識していなかった。
 この元気さは寛解と捉えていた。
 たぬきは病気が治ったのがとてもうれしくて、好きなことに打ち込めている!という感動すら覚えていたのである。
 今考えるとよく半年もこんな生活ができたもんだと感心している。
 家を買うのに1000万強。修繕は全てDIYなのに数百万円を費やした。
 そして燃え尽きた。
 たぬきは古民家がなんとか住める状態になったのを見届けてまた寝たきりになったのである。
 復職してまだ半年。仕事は休むわけには行かない。まだまだ信用を取り戻している段階である。通勤は続けた。はっきり言ってきつい。たぬきは家に帰ると布団に潜り込み、朝は布団の上で正座して泣きかけ、遅刻ぎりぎりで役所に向かった。
 なんとか住める状態になったといっても、完全にガタが来ている古民家である。建築的な観点で言うとしっかり建物を直す場合は建物をジャッキアップして基礎を打ち直し、腐った柱と土台を交換してどうにか延命できるレベルなのである。屋根も葺き替えないと雨漏りの根本的な解決にはならない。これには数千万円が必要になる。新築を買う以上のお金が必要だ。
 たぬきが行ったDIYは延命措置ですらない。誤魔化しである。
 たぬきは最初からそんなことはわかっていた。なのにゾーン状態だったたぬきは「なんとかなるっしょ!」と言い、問題にしなかった。
 ところが、鬱状態になってみると問題だらけがよく見えてくる。
 躁状態の時に色々な友人に「家を買っちゃったー♪」なんて触れ回っていた自分を恥じた。
 だいぶ後になってだが、通院していた病院で主治医が変わるタイミングがあり、こういった経験を改めて話したところ、診断が鬱病から躁鬱病へと変わったのである。
 たぬきは「やっぱりね!!」と思った。
 うすうす気が付いていたのである。鬱が治っていくタイミング(?)で妙に力がみなぎることがある。次々にアイデアが出る。いろんな人に連絡をしまくる。いきなり大きな買い物(家、業務用ミシン、バイク・・・)をする。眠ら(れ)なくなる。饒舌になる。怒りやすくなる・・・。
 そして、活発な活動をしているなかで、また何かのきっかけで寝たきりになる。
 そんなことを躁鬱病と診断されるまでに何回か経験していたのだ。
 躁鬱病と診断が変わってたぬきは妙に納得したし、自分が思っている病状と第三者からの診断が同じになったことで一種の安心を覚えた。
 たぬきはこの気分の「やたらにでかい」アップダウンは躁鬱病の症状だったのか、と。
 たぬきはこれまでで一番大きな躁状態である家を買ったときの話を今回してみた。家の購入から半年間のDIYという躁状態がもっとも極端に、もっとも長く続いた出来事だったからである。
 これは丸々と話してみたかった。
 この躁鬱病の躁状態ってみんなどんな精神状態なのだろうかと気になることがある。この疑問は以前にも述べたが、多分鬱状態は鬱病のそれと大差ないのだと思う。
 なにせ、主治医の診断がずっと鬱病だったことからも、躁鬱病の鬱期なのか鬱病の鬱なのかは簡単に判断できないのだと思う。
 しかも、たぬきの躁状態はぶっとんではいるが、破滅的なぶっとびではないのである。
 家を買った時ですら、一応借金などは返済できる目途が立ったので購入した。家を購入してから10年くらい経っているが、その古民家はまだ所有していることからもどうやらその瞬間だけの刹那的な行動でもないらしい。たぬきの躁状態は躁の中にも一定の冷静さというか計算が含まれている。
 だからより躁鬱病という診断が下るまでに時間がかかった。
 そして、この躁状態であるが、躁鬱病という診断をされてから、ちょっと冷静な時期に考えてみた。
 たぬきは思った。この躁状態はまるで「綱渡り」をしているような気分だ・・・と。
 躁は綱渡りである。
 躁鬱の気分のアップダウンは簡単な説明をするときに波に例えられることがある。躁が山で、鬱が谷である。
 たぬきは躁状態の時、いつか訪れる鬱を恐れ、怖がり、ずっとこの元気が続けばいいと思っている。人間のエネルギーには限界があるからふつうの人より山の高い位置を維持していることは不可能なので、かならず鬱期が訪れるのであるが、たぬきはそれを「綱渡り」とたとえた。
 そんな話を主治医に話したら、なるほどね!と納得してくれた。
 たぬきは躁状態が続いてほしい。だけれどこの状態を維持するのは大変危険な状態である。たぬきは躁の山と山を繋いだ細いロープの上を一種のパニック状態になりながら渡っているのである。
 たぬきは人から怒られるということが鬱へ落ちる引き金になりやすい。
 躁状態の時、たぬきはパニック状態であるから人に迷惑をかける行動もとってしまうし、攻撃的になって喧嘩をしてしまうこともある。結果的に小言を言われり、怒られたりするトラップがそこら中に仕掛けられている状態だ。
 そんな危ういロープの上を鬱になりたくない、鬱になりたくない、あそこへは二度と落ちたくない、と渡っているのである。
 そんなん隣の「躁の頂」まで到達するなんて不可能に等しい。
 ちょっと「怒られる」というそよ風が吹けば、すぐにバランスを崩して鬱の谷へ真っ逆さまだ。大けが。一歩間違えば死である。まさにそんな感じ。
 なので、落ちたときに大けがしなくていいように、躁の標高を低くするという土木工事なる薬物治療をし、その残土をもってして谷を埋めて鬱期の落ち込みも緩和するのである。
 今はその土木工事がよく効いている。
 なのでこんな文章を書く余裕すらあるのである。
 家を買っちゃったときの心境も割と冷静に考えられていると思っている。
 たぬきは登山も趣味にしている。玄人ならつゆ知らず、登山は頂を目指すものだと思う。だけれど、もう躁への頂には上りたくない。下山がへたくそだからである。
 躁鬱人は躁の頂がやたら高くてある意味それが普通の人が持ちえない「突破力」になっている・・・と【2】?【3】?あたりで話した。
 それは人類の中であっても貴重な存在であることは間違いないと思っている。全員が全員じゃないけれど、躁鬱人がブレイクスルーを起こした例は少なくないだろう。だから躁鬱人が淘汰されること無く現在も生き残っているのだと理解している。
 たぬきは読書もちょくちょくするから作家で言うと太宰治、夏目漱石、宮沢賢治、北杜夫なんかが躁鬱気質だったといわれている。
 薬物治療の土木工事をすると「突破力」は失われる。失われた。
 ちょっと寂しい思いもしている。人によっては躁鬱病を許容し「突破力」を維持しようと試みている人もいるだろう。うらやましくも思う。
 だけれど、その突破する先が破滅とか破壊の場合も多々あったりしちゃうのが躁鬱病の怖い所だ。
 たぬきはとりあえず今現在の所、燃え尽きるのが必至な躁状態(突破力)はしばらくいいかなー、と思っている。なので薬物治療を続けている。
 それでも、人よりは突破力があると思っている。
 全然食べていけないけれど、だからこそアイデアなんかを出す自営業が向いているのだとも思っている。うまく付き合えば躁鬱病は莫大なメリットをもたらしてくれるんじゃないかとプラスに考えるようにしているのだ。
 結果的にどうなるかは天寿を全うするときまで分からないが、それはどんな人でも同じだろう。
 とりあえず、まとまってないけれど、今回のお話はこのくらいにしておこうと思う。
 ではでは。

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