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あの子の席に座ってみる

2学期が始まって3日が経った。
久しぶりの6時間授業に、子どもたちもぼくたち教師もへとへと。
ほんとよく頑張っている。

金曜日に始業式をして、週が明けた月曜日。
夏休みに取り組んだ自由研究・自由工作の発表会をした。

そのときにどんなことがあったのか、どんな対応をしたのかはここには書こうと思わないから書かない。
でも、その日の放課後は発表会での出来事を何となくもやもやと考えていた。

もやもや考えていた時、「あの子になんと声をかけるべきだったかな」「今回の関わり方はもしかしたら甘やかしていたことになるかもしれないな」「かといって、あの子にこうやりなさいと言ったところでそれが良かったとも思えないな」みたいなことをぐるぐる考えていた。

次の日。
ふと、「あの子自身はどう思っていたんだろう」と思った。
昨日は自分から見た「あの子」のことばかりを考えていた。
でも今は、あの子が座っていたあの席で、あの子の目線で、あの子の立場で。

「どんなことを考えていたのかな」

「いい」とか「わるい」とか、「このあとどう話そう」とか「何を言おう」とか、そういうことは一旦わきに置いておいて。
ただただ想像してみた。

そうしたらその子の気持ちがわかった、なんて言えない。
でも、昨日とはちがった面が見えた気がした。

いくらその子の視点になったつもりでも、その子になったわけではない。
所詮は想像だ。

でも、自分の「こうしてほしい」「こうすべきだ」っていうフィルターを外して想像してみることは、その子を理解する幅を広げることになる。

そうだ。
1学期はそうだった。
自分の「こうしてほしい」というフィルターを外せずに、子どもたちを見ているようで見ていなかった。

もっと子どもたちの考えていることを知りたい。
もっと子どもたちがのびのび学ぶことができる教室をつくりたい。

もっと子どもたちの目線に立ってみよう。

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