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2020.10

10月のおわりに息子と海へ行く。東京湾以外の海をみるのは、今年はじめて。

一昨日「海に行きたいのだけれど」と息子が言ったのだった。そういえば夏にも言っていた。さらに春にも言っていたのだった。その時は「そうだよね、私も海いきたいな。のんびり浜辺で貝を拾いたいよね」などと海への想いを二人で語り合い、けれども実際に行くことはなく、そのままになっていたのだった。

「ずっと旅していないじゃない?なんかね、校庭のトラックをぐるぐる走っているような気持ちになってきた。いつもと違う景色がみたい。だから海に行きたい」

あ。その感覚わかる、と思った。

電車に乗って一時間ほどで到着した海。秋の浜辺は人もすくなく、のんびりとしていた。日の光をうけた海面はどこまでもきらきらとこまかく輝いて、青い空では数羽の鳶がくるりくるりとまあるく飛んでいる。

「海」と、波打ち際に駆けだす息子。小さい頃から海に着いた時の反応が変わっていないなあと思う。「わっ、靴がぬれた!」これも同じ。

波の音、こんな音だった。くりかえしくりかえす。ひさしぶりの感覚。

波が曳いたあと波打ち際にのこる二枚貝は、上向きになったそのくぼみに一様に砂と海水をたたえていた。どこからか木の棒を拾ってきた息子は、その棒で二枚貝をひっくり返しながら歩いている。かぽ、かぽと貝のなかのちいさな海が浜辺に戻ってゆく。しゃがみ込んでいくつかの貝を拾う。

「お母さん、どんな貝を探しているの?」

「こやす貝。やっとひとつみつけた」

深い茶の色のこやす貝はまるで木の実みたい。手のひらに貝をのせて水平線をみる。ぷかりと一羽の鴎が浮かんでいる。どこまでも海。

ここしばらく、と思う。ここしばらく、校庭のトラックをぐるぐる走っているような日々だったかもしれないけれど、ただ漠然と同じ毎日が過ぎていただけではないよね、と思う。

「はい、みつけた、こやす貝」

息子が手のひらにのせてくれたこやす貝はまるでバターロールみたいな色をしていた。

最近ぐんと背がのびて、気がついたら私と同じくらいの背の高さになっていた息子。しゃがみ込んで木の棒で砂をかき集め、なにやら山のようなものを作っている。小さい頃から変わっていないなあとまた思う。

そして、ふと、あと何回一緒に海に来ることがあるのかなと思う。次も貝を拾ったり、砂で何かを作ったりしているのかな。していないかもしれない。その予感は少しだけ淋しい。けど、もし当たったとしてもそれはそれで良しにしよう。だって、もうバターロールみたいなこやす貝をもらったから。他にもたくさんのものも、もらっているから。

足元をみると、真っ白なこやす貝がひとつあった。手をのばしたら、こやす貝はぶるぶるとまわりの砂をふるわせて、体を沈ませていく。あ、生きている。そう思うと同時に大きな波がやってきた。

「しまったー、靴がびしょぬれになったー」と砂の山を作る息子に言ったら、「すぐに乾くからー、大丈夫だよー」波音より大きな声で返事をくれた。

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