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2020.8

8月はほとんど毎日、朝焼けを眺めていた。

それは早い時間に起きようと決心しているからではなく、体のリズムが今は早寝早起きだから。8月に入ってから貧血治療のため処方された鉄剤を一日一回、夕食後に飲んでいる。健康診断の結果で自分が貧血だということを疑ってしまうほど、あわあわとした自覚しかなかったのだけれども、鉄剤を飲みはじめてから、あ、貧血なんだと感じるようになった。

鉄剤の効き目が切れはじめる夕暮れになると、体から休みましょうのサインがでてきて眠くなってくる。お昼すぎにミロを飲むと、夕方の休みましょうサインがゆるやかなものになる。鉄剤の効き目がでてきている朝は、体から元気いっぱいになっていますよのサインがあり目が覚める。どうやら私の赤血球たちは鉄分が増えると夢中でよろこび、鉄分が少なくなってくると全力でかなしんでいるようなのだ。自分でもおどろいてしまうくらい私の赤血球たちは素直に生きている。

夜の時間からとおくに居ることは淋しいけれども、朝の時間の空はいつもとてもやさしい。

生まれてゆく色。雲のかたち。なんて毎日ちがうのだろう。かすかな色の重なりは多様で、この空には何十の色があるのだろうか。表す言葉が追いついてゆかないと同時に、空の変化は心にふっと言葉を浮かばせてくれる。

毎日の空をくっきりと覚えておくことはできないけれど、記憶は私のどこかに積み重なってゆく。

子どもの頃、「時間を超えてゆくものは、自分にはないのかもしれない」と思っていた。自分はとても忘れっぽいから、と。

あの頃より長い時間を生きてきて、出会ってきた人たちのおかげで、時間が経っても在り続けるもの、または在り続けようとしてくれているものが自分にもあるのだと思えるようになってきた。

一方、在り続けるものとして、かなしみを人は持つこともあるのかもしれないとも思うようにもなった。消えることはないかもしれないけれど・・・太古の木々が自らの命を終えるとき、長い時間を経て琥珀になるとは想像もしていなかったであろうように、時の積み重なりは、ゆっくりと別のものに変化させてくれることがあるのではないかと思うのだ。今は想像をすることもできないくらいの、うつくしい何かに。

朝の空を眺めることができて、貧血も悪くない。とはいいつつ、早く赤血球がまるまるとしてくれないかなと願っている。

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