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いつもあなたの内側にある、本当の「自由」

自由でありたいというとき、人はどのような状態になりたいのでしょう。

私たちが日常的に一番よく見かける「自由」は、おそらく「Free(フリー)」「Freedom」です。

フリーという言葉は、いわば「(制限の)ない自由」を意味しています。「自由席」は予約がなくても座ることのできる席。「フリーサイズ」は多くの人にフィットする(サイズによる制限のない)自由なサイズ。「タックスフリー」は税金がかからないこと。

これに対して、英語にはもう一つの「自由」があります。それは「Liberty(リバティ)」です。アメリカの自由の女神は「リバティの女神」で、それは「勝ち取った自由」「選び取った自由」といった意味合いです。

このフリーとリバティの対比はとても興味深く、純粋な知識の講座でもお話しできるものなのですが、今日お話ししたいのは、ぼくが大事にしている「自由」について。それは、日本語の「自由」です。
その意味は「自らを由(ヨシ)とする」。つまり「自由」とは「自身を原因とする」ことを意味しています。

人はどのような行為をするときでも、自身を原因としているなら「自由」です。それは一見して受け身に見えることであってもです。むしろ、一見して自由に見えても、全然自由ではないということが多い。そして人は、そのような一見自由に見えること、を求めていることが多く、それが手に入ったとしても結局自由ではなく、虚しさしか残らないことに気付きます。

本当の「自由」を求めましょう。それはあなたの内側にかならずあるものです。それが得られたとき、その人は、その人の人生そのものになります。

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