遠い思い出 もやし炒め

新聞で「遠い思い出 スコッチエッグ」を拝読した。

私の遠い日の思い出は、今思い出すとしたら【パパのもやし炒め】ではないだろうか。


うちのパパはもやし炒めを作る時、必ず卵をいれる。これに塩胡椒をふりかけ、醤油をかけて食べる。夕食には週に1度はこのメニューがあった。

ママとパパはいろいろあって離婚することになり、翌日は私とママ、妹が家を出る日であった。

母妹と3人で夕食を食べようとしている時、家庭内別居中のパパから呼ばれた。

「あんたのこと呼んでるから行ってきな」

ママに言われて私は1階に降りて行った。

この頃のパパはママに暴力をふるうこともあって、パパと顔を合わせることが怖くてたまらなかった。


「パパ、来たよ」

とドアの前で告げると、引き戸がさっと開き、私とさほど背丈の変わらない父が立っていた。

「パパのせいでごめんな」


パパは私を力強く抱きしめながら言った。

「うん」

「パパのせいで、ごめん」

パパは泣きながら何度も謝った。


パパに促されて1階のリビングに入る。

「ちょっと待っててな」

とパパは何やら作り始めた。

「ほら、くえ」


パパが出してくれたのは「もやし炒め」だった。

「こんなものしかなくて作れなくてごめんな」

パパは何度も謝った。

お箸を渡された私は、泣きながらそれを食べ始めた

しばらくすると

「あんまり遅いとママ嫌がるだろうから」

とパパが心配そうに言うので、私はお皿を持って2階にあがった。

パパの最後の料理、もう二度と食べられない。

温かいうちに食べてしまいたい、ママにバレないように食べてしまおう。


私は自室に戻り、学習机の上でもやし炒めを泣きながら一心に食べ続けた。

「あんた、何やってんの」

とママが突然部屋にやってきた。

「あたしのご飯は食べないで、パパのご飯なら食べるわけ」

「じゃあもう無理してママのとここないで、パパと一緒に住んだら?」

「ごめん。ごめんなさい」

‥と言ったところまでは鮮明に

覚えている。

あの残りのもやし炒めはどうなったんだろう。


全部ひとりで食べたのだろうか。

妹にも少し分けたのだのだろうか。

ママと一緒に3人で食べたのだろうか。

お皿は返しに行ったのだろうか。

全く覚えていない。

味も匂いも何も思い出せない。


それでも私は、15年経った今でも、遠い日の思い出として、パパのもやし炒めを覚えている。

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