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ぐんぴぃさんと自分の中のコマンドの話

私はバキ童チャンネルの比較的古参ファンである。今や登録者数が140万人を超え、名実共にネットミームとなったバキ童ことぐんぴぃさん。私は登録者が30万人弱の時から見ていましたよ。キモシェ時代もちゃんと知っております。もしかしてこれって世界一意味のないマウントか?

バキ童さん、正式なネットミームはバキバキ童貞さん。新宿で受けた街頭インタビューをきっかけに、ネットで捏ねくり回されることになった芸人さんである。性交渉をしたことがない。

こんなにも面白いのにこんなに周りに勧めづらい方も珍しい。最近飲み会で後輩にバキ童チャンネルの話をしたらやんわり嗜められた。「女の子があんまりバキ童観てるって言わない方が良いっすよ」って言われた。お前の耳元でアニマルセックスクイズを流してやろうか。(noteってこういう単語で垢バンしますか?)


バキ童チャンネルはオタクかつ性交渉経験のないぐんぴぃさんが、自分のフィールドで暴れ回るチャンネルである。ポケモンを性的に見たり2ちゃんのコピペを音読したり、街頭インタビューのきっかけとなった博士と友達になったりする。上品か下品かで行ったら下品寄りだし、もしも私に片思いしている男性がいたら、バキ童リスナーであることなどおくびにも出さないだろう。


え、本当にこれでアカウント凍結とかしたら困るな。短歌とかも書いてるんでnoteのAIにはその辺りも考慮して判断してもらいたい。


ちなみに再生回数や登録者数を見れば言うまでもないけれど、動画については当然のごとく面白い。元落語研究会の語り口や芸人さんならではの話の組み立て方。くだらないテーマを深くまで掘っていくスタイルがネットミーム出身のYouTuberとは思えない正統派の面白さを生んでいる。

個人的にバキ童チャンネルには、正面からのおもしろと彼らのバックグラウンドからくる優しさという二軸の魅力がある思っている。

正面からのおもしろは分かりやすくてインパクトがある。下ネタに寄ったテーマもしょうもなくてエグすぎない。童貞を背負って、度々収益化制限がかかるような動画を投稿している割に加害性が少ないのも特徴だと思う。男性のグループによる下ネタ的な動画は、ともすれば多くのひとを傷つけたり怒らせたりする。でもバキ童チャンネルの企画は、なんだそれ!と言いたくなるくだらなさで収束することが多い。

くだらないねえ。タイトルとぐんぴぃさんの顔だけで笑ってしまう。多分もっとえげつないことも言いたいんだろうけど、きちんと12歳以上なら大体笑えるぐらいの内容に留めている。芸人さんとしての矜持というか、あくまで万人が理解できる範囲で最大限の面白を生み出しているところが才であり、くだらなくも見続けられる秘訣なのかもと思う。

下ネタを話す人にも色々なタイプがいて、性器の名称などを大きな声で叫ぶだけでゲラゲラ笑える人もいる。私はそういうのはよく分からなくて、その名称単体では別に面白くもなんともないだろと思う。突然叫ぶ、とか空気の読めないことをワザと言う、とかそっちに快感を得てるだけでは?と白けてしまう。

まあバキ童チャンネルにそういう部分が一切ないかと言われるとそんなこともないんだけど、(ぐんぴぃさんは性行為の名称を大声で叫ぶことがままある)あくまで下ネタはおもしろの前座であり、これを使って笑いを生むのは他も無限にある要素があるためなのだ。

人間ネットミームや下ネタ、2ちゃんねるなど即物的な要素でバズるとそこに引っ張られてショートなお笑い終始しそうなものなのに、バキ童チームの賢さと面白さの賜物なんだろうなあ。


基本的に実在する女性を性的対象として笑いに昇華しないところも同じ女性としてはありがたい。ぐんぴぃさんにとっての女性は「可能であれば交際などをしたいけど、自分は女性に嫌われることをしてしまうだろうから距離をとる」存在なのだという。私はぐんぴぃさんのプライベートな面を知らないから本当のところは分からないけど、画面からは加害性はほぼ感じない。女性経験がないことによる頓珍漢な発言はたまにあれど、指摘されればハッとして謝ったり認識を正したりする場面をみる。

これは本当にすげ〜〜と思う。

ぐんぴぃさんたちの賢さゆえだろうけど、自己と他者の区別の付け方がすごく自然で、同性同士でも異性とでも、そこが根底にあるからどんなテーマで話していても加害的な目線を極限まで排除できるのかもしれない。動物たちの性事情をキャッキャと話している男性たちを見ていたはずなのに、尊敬の念などが生まれてしまう。それがバキ童チャンネルの奇妙な魅力だ。


バックグラウンドからくる優しさ。ぐんぴぃさんが青学出身で読書家な聡明な方であるというのはよく動画内でもファンの間でも語られるところだけど、私はぐんぴぃさんの優しさや他人との距離の取り方が心底好きだ。

ぐんぴぃさんの幼少期については、ご本人が色々な媒体で言及している。

九州の比較的裕福な過程で、暴力的な父親とそれに付き従うような母親の元で育ったぐんぴぃさん。きちんとした学校に進み、浪人を経て青山学院大学に進学している。

父親のことを「暴力パパ」と戯けつつも、その話を聞いていると両親、特に父親は反省するべきところの多い人だったのだと思う。

ぐんぴぃさんの地元の話や家族の話を聞いていると、あまりにもうちと重なるところが多くて時々ウッとなる。もちろん話はめちゃくちゃ面白いんだけど。

私もヤカンのごとく気の短い父親と子供思いではあるがヒステリックな母親とのデンジャラスな子供時代を過ごしてきた。詳細はここでは省くけど、実家は私にとって全く安心できる場所ではなく、今だに帰省の前日は緊張して泣いてしまったりする。いい大人なので、両親への同情や感謝や謝罪の念がないわけではない。私自身、育てにくい子供だったとも思う。

一人暮らしを始めてからは天国だった。父親のバイクの音に怯えたり、父を庇う母を見て必要以上に悲しんだりしなくて良くなった。

でも子供時代という礎が不安定なままでは、順当に大人になることは難しいらしい。私は今でもお父さんに愛されたかったと泣いてしまうし、将来誰かと生活を共にすることが堪らなく怖い。次は加害者になるかもしれないから。父のような加害性が、きっと私にも秘められているだろう。苦しいなあ。


そんな感じで、愚かにも人生でうまくいかない全てのことを家庭環境のせいにしてグズグズとしていたところ、春とヒコーキで連載しているある記事と出会った。

自身の中にある暴力性や破壊願望とどう向き合えばいいかという質問に、春とヒコーキのお二人が答えるというもの。ぐんぴぃさんの答えはスマートで優しくて、強かった。

親との言動・性格の一致は
先天的なものではありません。
(中略)
父親の悪い振る舞いを見て育ってきたために
「なぐる」「あばれる」などの選択肢が
“脳内に存在する”というのが
実際のところではないでしょうか。

記事より引用

ぐんぴぃさんはこれを「コマンド」と呼んだ。父親から殴られたことがない人には、怒りが生じた時に殴るというコマンドが表示されない。ぐんぴぃさんみたいに、私みたいに育った人たちはこの悪いコマンドを選ばない努力、コマンドが生まれつきない人たちがしなくていい努力をしないといけないのだと。

ただぐんぴぃさんはこうも書いている。

暴力性や破壊願望は後天的なものです。
だから絶対に律することができると
信じています。

記事より引用

遺伝なんかじゃなくて、子供の頃に後天的に植え付けられたコマンドなら、成長した自分であれば絶対にそれを律することができる。

思わず電車で声が洩れそうになった。自分の家庭環境の不和を自覚してから、いろんな文章を読んできた。そのどれよりも寄り添って、一緒に闘ってくれるような記事だった。コマンドは自分で操作する、私ならそれができる。ストンと腑に落ちて、でもそれをずーっと死ぬまでしなければいけない自分が可哀想で、少し泣いた。このぐんぴぃさんの言葉は金言だった。お墓まで大事に抱えて持っていくつもりだ。


ぐんぴぃさんは芸人だから、こういう部分がフォーカスされるのは複雑なのかもしれない。でも私はバキ童チャンネルのくだらなさと、ぐんぴぃさんという人間の生き方から捻り出された聡明さを、全く別のベクトルで同じだけ凄いと思っている。

ちょっとはじめと終わりで毛色が違いすぎるから、バキ童チャンネルが変なバナー漫画の話をし続ける動画を紹介して終わりにします。


みんなも悲しい時はご飯食べてお風呂入ってバキ童とSUSURU TV観て寝ようぜ!明日も生きろ!ヤーーー!!

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