世代間格差について

「失われた30年」って何?

 そもそも私の記憶がある範囲内では殆ど景気が良かった事は無く、デフレで(今と比べて)やたらモノが安かった幼少期を過ごした。もちろん、30年ほど差がある親世代と比べたら、モノの値段は上がり続けている。父も母も教員をしていて、公務員はバブル景気だろうが特に好影響を受けることは無かったのもあってか、バブルに湧いていた時代の記憶も、自分が幼少期のことなのでほぼ無い。「失われた」年代を生きているので、「失う前」の記憶もなく、比較するものが無い。

「バブル時代」ってなんかすごい

 会社に入って初めて、親や親類以外の大人、特に自分の「親」から「自分」との間にいる世代の人達と接する機会ができた。バブル時代を会社員として過ごした人たちの武勇伝(というかただの思い出話かもしれないが私にはそう思えた)を聞くと、なんだか今と違う時代だなあと思う。いつの時代も、「昔は良かった」系の話が出てくるが、このバブル時代を生きた人達からすると、確かに景気に関しては「昔は良かった」のだろうと思う。
 私は、世界が未来に向かって良くなっていると思いたいし、そうなるように生きていきたいと思っている。倫理観や多様な考え方を受容することなどは、過去よりずっと良くなっている(と思う)。先輩方が言う「昔は良かった」エピソードをよくよく紐解いてみると、やはり「景気が良かったからできた」ことなのだろうなあ、と思ったりする。

先達Kさんの言葉

 先日、自分よりも25年ほど年上(66歳)のKさんと会話する機会があった。彼は定年退職後も別の会社に顧問のような形で勤務していて、とても気さくな方だ。その時は「いつまで働くか?」という話題で盛り上がった。
 会社勤めをしていたKさんの世代であれば、企業年金も厚生年金も国民年金ももらえて、もう働かなくていいんじゃないですか?と言うのが私の思っていたことだ。もちろん、人それぞれ定年後の過ごし方に望むものは異なる。私は、世にいう「悠々自適」の解像度があまり高くなかったが、「悠々自適」はすなわち「定年後は仕事から開放され、後の時間はゆっくり自分の趣味に生きる」ようなイメージだった。今であれば健康寿命も延びているのでここに「緩く働く」も追加されてくるかもしれない。社会とのつながりという点で、健康であれば長く働くのも良いと思うし、個人の自由だ。
 Kさんは、やはり社会的なつながりの点と、求められる間は働きたい、という旨のことを語っていた。後輩に少しでもこれまでの経験が役立てば、と言っていたKさんは、私の定年後のぼんやりした働き方の解像度を少しだけ高めてくれた。私も20数年後、そんなことを言えるようになっているだろうか?

5歳で世代間格差?

 そんなKさん(66歳)が「よく会う60歳の人から、いつも羨ましがられるんだよ〜」と語っていた。その60歳のKさんの後輩曰く、私が思っていたように「Kさん世代は年金も満額もらえるし、退職金も良くて羨ましい」という内容だそうだ。私から見れば60歳の誰かさんも十分年金はもらえるだろうに…と思ったのだが、年齢が5歳違うだけでも年上が羨ましく見えるくらいに制度が変わってしまっているのかもしれない。とにかく私から見れば、企業年金も充実していて人事制度が改悪されても旧来の制度を適用できた「逃げ切れた世代」はある意味羨ましいと思う。
 私の世代では企業年金はなくなり、DC(企業型確定拠出年金)で運用か或いは先に分配支払いかのどちらかを選択する方式に変わっている。

羨んでいてもしょうがない

 世代間格差が広がるのは、時代の変化が急速すぎるせいなのかもしれない。もちろん、同じ世代を生きていると、価値観が近くなることはあると思う。だが、同じ世代だからといって「●●世代」のように自分がカテゴライズされるのはあまり好きではない。特に私は「ゆとり世代」にギリギリ入るか入らないか…の境界にいたので、その属性を語られるとき、自分に当てはまるような当てはならないような、どっちの立ち位置でもない気がしてなんとも複雑な気持ちになる。
 良かった世代のことを羨んだり恨んだりしたところで何も変わらないので、ただ「今を良く生きる」ためにどうすればよいかを考えるだけである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?