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ありがとうを受け取れていなかった

過去の自分のありがとうを受け取れていなかった話

みなさんは「ありがとう」を受け取ることができていますか?

私は長らく受け取ることができていなかったのです。

今の自分を認められたからこその気づきでもあります。
自分を認められたら、今まで否定しかできなかった過去の「できてた自分」に気付いていけた。

「できていた自分」に出会えることは今までない事だった。

いくら「できてるよ、ちゃんとやってるよ」って思おうとしても
思えなかったのに、不思議だ。


私が病院で看護師をしていた頃
患者さんのためにしている事が、本当に患者さんのためになっているのかと常々自問していて、何のためにこの仕事をしているのか分からなくなる時も多かった。

上司は何かあるとすぐに
「患者さんのためが1番だから」と言った。

私は上司がその言葉を言うたびに、ムカついた。

「どこが患者さんのためになってるんだよ」って心の中で思ってた。

「いつだって病院側の都合で動いてるじゃん」って口だけなのに嫌気がさしていた。

入院している患者さんや、過去に入院経験がある方からは
「看護師さんってほんとすごいよ」
「看護師さんが言う”大丈夫”は本当に安心するよね」とか言ってくれて

確かにそうかもしれない、とは思う。

ありがとうという言葉は、病院で働いているとみんな言ってくれる。

でも、私は

できていない罪悪感と大した事はしてない、という思いから、正面からその感謝を受け取る事はできていなかった。

でも、自分と向き合って
自分を理解して、好きになってきたとき、自分を振り返ってみると
「しっかりできてた」という記憶が次々出てきた。


ある夜勤の日
担当ではなかった患者さんの心電図のアラームが鳴りベッドサイドへ行った

その患者さんは40代で脳梗塞を発症し24時間経つかたたないか位だったと思う。
発語や飲み込む機能が低下していて、意識状態もやや混濁していて、発語もできないためコミュニケーションもよく取れなかった。

鼻から栄養を入れる管が入り、やや意識が混濁していて手も拘束されていた。
私は吸引機で痰を取って、体を整えた。
その人と暗いなか目が合ったときに、患者さん目に力みがあることに気づいた。そして「つらい」と気持ちがグッと自分に入ってきた。
40代という比較的若くしての発症だったため、みている自分がつらくなったというのも、あると思う。

私はその患者さんに
「すごいつらい事をしてごめんなさい。」
「大事な治療のためいろいろな管が入っているので手を縛らせてもらっています。嫌ですよね。」
「今が一番つらい時です。でもリハビリをしていけば鼻の管も抜けるし、ご飯も食べられるし、車いすに乗って起きられるようになりますからね。」
「今が一番つらいけど、大丈夫ですから、頑張りましょうね」
と手をさすりながら声をかけた。
もちろん反応はない。

1週間たったころだろうか、
他の看護師から
「患者さんの〇〇さん、なおさんのこと良い看護さんだよねって言ってましたよ」と言われた。

私は 誰??(←失礼なやつ)
と思った。

あの夜勤以降、その患者さんとはほぼ関わることがなく、
車いすに乗れるようになって、見た目も別人のようだったので
名前だけを聞いても誰だっけ?状態になってしまっていた(ごめんなさい)。
私は誰かと間違えてるんじゃないかと思う位、「良い看護師さんだよね」という言葉がなぜ出てきたのか分からなかったのだ。

その後その患者さんが言った言葉がずっと頭に残っていて
看護師もやめて自分と向き合っていく中で
ふと、あの夜勤の日に関わった事を思い出したのだ。

本人には聞いてないから推測でしかないけれど、私があの夜勤の時に声をかけたことが、その時の患者さんにとって救いになっていたのかもしれないと思った。

そしてあの夜勤以来その患者さんとは関わっていなかったため、きっと私の他の患者さんとの関わりも見てくれていて、「いい看護師さんだよね」と言ってくれたのだと思った。

そう思ったら、ちゃんと寄り添えてたなって思えた。

自分自身が行ってきたことを初めて認めることができた。

ちゃんと、患者さんのためになってたと
思うことができた。

その時になって初めて
「ありがとう」の言葉を受け取ることができた。
ちゃんと、看護できてた、と思えた。

自分を認められないと
相手の感謝を受け取ることができないし
ちゃんとできてた自分にも気づけない。ということに気づけた。

「ありがとう」の言葉を受け取れないなんて
悲しいにもほどがある。

その人がどんな想いでその言葉を言っていたのかさえ、気付けていないということだ。

患者さんにとって人生が一変したその日、
不安や恐怖、悲しさでいっぱいだったと思う。
その経験をしたうえで、私に言ってくれた「いい看護師さん」という感謝の言葉の中には、言葉にしていない多くの想いが言葉の裏にはあったと思う。一言ありがとうございますと言いたかった。


こうして過去を振り返ってみたら
できてた自分をどんどん見つけることができて

更に自分を認められるようになっていった

こうゆうことを自分は気づくことができて、できるんだっていう自己理解にもつながった。
それは自分の才能だなって少し誇らしく思ったりもした。
そう思っていいんじゃん!って思えた。

受け取れる人になろう。
そして「ありがとう」と言える人になろう。

そう思った気づきでした。

長いなぁ~
おしまい💐


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