見出し画像

百合短編:12月1日

――12月1日、映画の日。

「今日は映画の日なので、映画を観ましょう!」

家庭教師のキネン先生は、いつも突然だ。
授業が終わった途端、参考書と入れ替えるように革の鞄から謎の長方形を取り出した。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、木製の机の上にどんどん積んでいく。
謎の長方形は、よく見ると私の世代はあまり馴染みのない――

「……ビデオ、ですか?」
「そうですよ。先生の家には、映画のビデオがたくさんあるのです。先生はナンノさんの好みを知らないので、コメディ、アクション、SF、時代劇、恋愛、いろんなジャンルを持ってきました」
「選択肢がたくさんあるのはありがたいですが、なぜビデオなんですか」
「えっ?」

首を傾げるキネン先生に、私は壁際に置いてあるパソコンを指差した。

「私の部屋で映画を観る時は、パソコンを使います」
「そうですね、テレビを置いていないですものね」
「パソコンではビデオを再生できません」
「あ……」

盲点だったと言わんばかりに目を見開いているが、さすがにうっかりしすぎではないだろうか。
キネン先生は勉強の教え方は上手いが、普段の生活ではどこか抜けていることが多い。
この『うっかり』を指摘すると先生は大層落ち込み泣きそうな顔をするため、胸の奥で何かが燻ぶるのを感じながら、私はいつも黙って見守ることにしている。

「り、リビングに行ったら……ビデオは観られます?」
「DVDとBDしか再生できませんよ」
「……」

聞かれたから答えただけなのだが、とどめの一撃になったようでキネン先生は完全に黙り込んでしまった。
年上なのに、こういう『うっかり』をした時の先生は酷く幼く見える。
私は先生から見えないように、スマホで時間を確認した。
今日は日曜で、昼過ぎから勉強を教えてもらっていたため、授業が終わってもまだ外は明るい。
例えば映画を一二本観たら、平日部活を終えて家に帰ってくるぐらいの時間になる。

「先生」
「……はい?」
「もしよかったら、先生の家で映画を観させてくれませんか?」
「!」

どんよりしていたキネン先生の目が一瞬で輝く。
先生は山積みのビデオを手際よく鞄の中に戻すと、勢いよく立ち上がった。
私の目の前で、丈の長いスカートがふわりと揺れる。

「ナンノさんのお母様に、今から家に連れて帰って良いか聞いてきますっ!」
「連れて帰るって……多分大丈夫だと思いますけど」

元々、キネン先生が私の『家庭教師』になったのは母の親友の勧めだった。
母も先生を信頼しているようで、私と仲良くすることを嫌がったりはしないだろう。

「いえ、確認は大切なことですよ。それに帰りが遅くなると、お母様も心配するでしょう」
「帰りが遅くなるほど映画を観るつもりですか?」
「ふふふ!」

観るつもりらしい。
キネン先生は無邪気に笑ったあと、部屋を出て行ってしまった。
ウキウキと階段を下りていく足音を聞きながら、私も出かける用意を始める。

「あ……」

そういえば、キネン先生が持ってきた大量のビデオの中にホラー映画が無かった。
実は私が一番好きな映画のジャンルはホラーなのだ。

「……持っていこうかな」

いまだにビデオを愛用しているキネン先生の家にDVDを再生する機器があるかわからないが、私はお気に入りのDVDを一枚鞄に入れた。
キネン先生はホラー映画が苦手なのでは、なんて『もしかして』は考えないようにする。
生徒の好みも、他人の家でビデオが再生できない可能性があることも『うっかり』把握していなかった先生が悪いのだ。

「今日は映画の日なので、ホラー映画を観たいです」

そう言ったときのキネン先生の反応を想像して、私は先生に負けないぐらいウキウキとした足取りで部屋を出た。

――12月1日、映画の日。
胸の奥で燻ぶる何かを、私はまだ知らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?