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本と実際に行けるお店紹介!:前編

はいさーい!ルコです
今日も投稿を見てくださり
ありがとうございます!

今日は本【沖縄島建築】を参考に
沖縄の建築の歩みについて書いていくう
実際に行けるお店も紹介します!
(私のへたっぴな絵を添えて笑)

グスク時代(12世紀ごろ)~昭和初期

え!とんでもなく長くない!? 

昭和初期を戦前だとして
第二次世界大戦が終結した1945年くらいだとしたら

ざっと800年くらい続いている!

いーやえぐ!

そんなメジャーすぎる沖縄の古民家は2種類あるみたい!

穴屋(アナヤ―)

こっちは、あんまり見たことないなあ
初知りだった!

粗削りの柱を地盤に埋め込んだ堀立柱形式。
琉球王朝時代の「敷地・家屋の制限令」によって
庶民の住まいは、主にこの形式に限定されていた。

沖縄島建築より

このタイプのお家が大昔の
沖縄の庶民の住まいだったらしい!

え、これ、台風耐えれるんか?!

鬼滅の世界の建物やんけええ

昔の沖縄は日本と中国、台湾などの国々との
交易が盛んに行われていたから、

その流れで、建築にも影響したんだろうなあ

貫木屋(ヌチジヤー)

うんうん
沖縄の古民家といえばこれだよね!

柱を礎石建てとし、貫を通してつないだ形式。
日本の室町中期以降に見られた
書院造りに似た造りで、
王朝時代の士族階級の住宅の形式だった。
ー略ー
制限令の撤廃後、庶民の住宅にも浸透し、
現存の伝統的民家の
代表的なつくりである。

沖縄島建築より

そうそうこれこれ!
って感じザ・沖縄!というか
そんなイメージ!けど
書院造りに似ているのかああ

そうなんだねえ

現存している建築として
「中村家住宅」だったり
「銘苅家」があるよ!

まだ、中村家住宅行けてないのは
ココだけの秘密ね笑

めっちゃいいわけだけどさ
行こうと思ったら雨降るんだもんん
しゃーないさああ

1946年~49年ごろ(戦後直後)

あ!さっきから当たり前のように(〇〇ヤー)って使っているけど
”ヤー”は沖縄の方言で”家”って意味です!

あれ?全国共通??
ちょっとわかんないなあ

規格住宅(キカクヤー)

戦災復興のために建てられた建設住宅。
建築家・仲座久雄(沖縄建築士会初代会長)
により考案。
大量生産が可能で最終的には
7万5000戸を無償配布した。

沖縄島建築より

ん?!
まていまてい、
いくら戦後直後だったとはいえ
7万5000戸を無償で配布?!

か、かっこよすぎます。

まじか、

どこの分野の人でも、どんな仕事をしている人でも
他の人のために動ける人ってかっこいいですよね!

私もそんな人になりたいなあ
今の私は、もらってばっかりで
まだまだ遠いけど!伸びしろさ!

1950年~60年ごろ

つい最近と言っちゃ最近かな?

この建築たちは街中歩いていたら確実に出会える!
中道に行くほどある!

木造赤瓦屋根住宅

この建築結構みるよね!
何なら、私の隣の家もこんな感じのお家だ!

戦後初期の木造住宅は、米軍接収が開放された
那覇市の中心地域で建設された木造2階建てが代表的。

沖縄島建築より

このタイプの建築って、今も結構あって
外観はよく見かけるんだけどさ、
以外に中に入ったことないかもなあ、

たしか、那覇にある
「あおみどりの木」っていう
アートギャラリーがまさに
そんな感じの建物だったなあ

今度行ってみます!

木造セメント瓦屋根住宅

この建物も結構みるよね!


赤瓦より安価で取り扱いやすいセメント瓦の需要が増え、
多く建てられた形式。
戦後のガリオア資金制度により、
「復興瓦」として製造業者への
支援もあり普及した。

沖縄島建築より

セメント瓦ね
たしかにその方が台風でも飛ばないし
お金も安価で、なにより、 
メンテしやすいもんねえ

なるほどなあ

復興瓦制度とかってあったんだね
だから、急激に普及したのかあ

この建築を見れるところは
那覇にある
「言事堂」っていう古本屋さんが
まさにこういう建物だったんだけどね
閉店しちゃったんだよね

ちょっと別のお店も探しておきます😭


この内容本の中た
序盤の中の序盤なんだけど

内容濃ゆ!

今回はこの辺にしておきます!
またこの続きを書いていきます!

今日は以上です!
さいごまで読んでくださり
ありがとうございます!

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