空飛ぶストレート【ショートショートnote杯⑧】
慎太郎は、大学まで野球部だった。仕事終わりのリラックスタイムは、ボールを触りながら物思いに耽る。
福岡からの出張帰り。羽田への最終便だった。
飲み物の提供が始まってしばらくして。後ろのほうで、大きな声で男が怒鳴っている。
慎太郎は、警察官で。介入せずにはいられず。立ち上がり、18mほど先の男に向かい、静かに声をかけた。
「他のお客様に迷惑ですよ。」
その男は、返した。
「何者だ!お前!」
「実は、こういうものです。」
慎太郎は、ゆっくりと身分証明書を出した、つもりだった。だが、それは、くたびれた野球のボールだった。
あたりは、シーンと静まりかえった。乗務員も、周囲で気を揉んでいた他の乗客も、そしてその男も、口をあんぐり開けて、呆気にとられていた。
数秒間の完全な沈黙の後、男は急にシュンとなり座席に座り込み、すやすやと眠り出した。
事態は収拾した。
慎太郎には、渾身のストレートが、バシッとミットにおさまった音がした。ような、気がした。
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