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カチカチ山

まだ、父が元気だった頃。我が家は引越しをした。私は、幼稚園の年長。少し年の離れた兄は小学5年生だった。さすがに記憶が定かではない部分があるのだが、ちょっと強烈な思い出のひとつなので、部分的に鮮明に覚えている。

引っ越したばかりの兄が、クラスに溶け込むようにと願ったからだろう。我が家主催で懇親会を催した。それが、今考えるとかなり変わった会で、大勢のクラスメイトを呼び、みんなで山に登り山頂でカレーライスを食べるという趣向だった。

カレーライスは母の手作り。大きな鍋に入れて、フタをする。そして頑丈に背負子のようなものに乗せられて、それを父が担いだ。

途中まではケーブルカーで登るのだが、山頂の目的地までは、ちょっと歩く。

もともと体が頑丈ではなく、病弱なほうの父だ。そもそも、鍋を父に背負わせるのには、無理があったと思う。それでも母は、息子のためだと言って聞かなかったのだと、後々父が何度も語ってくれた。

みんなで山頂に向けて歩き出した。とにかく、鍋を背負っている父が、慎重にこぼさないようにと歩くのだが、悲愴な顔をしている。無言なのだ。そして兄の友達に、

おじさん、大丈夫?

と、何度も声をかけられたが、返す言葉も無く、ただ黙々と歩いていた。


ひとしきり楽しい懇親会が終わり、帰宅して、既に空になった鍋を降ろした父が一言。

まるでカチカチ山の狸の気分だった……。

と言って深いため息をついた。シャツを脱いだ父の背中は、赤く腫れ上がっているように見えた。私はまだ、カチカチ山のあらすじを知らなかったが、誰かに背中に火をつけられる酷い話なんだろうと理解した。

父はその後、カレーライスが出される度に、その話を一通り、何度もした。述懐しながら、もう少し冷ましてから担がせて欲しかったと、母に、苦笑いしながら何度となく言った。

私は、カレーライスは大好きである。しかし母の作ったカレーライスがお袋の味になり得なかった理由のひとつは、間違いなくこの、カチカチ山の一件である。

そして、我が家の歴史に残るカレーライス事件が起こるのは、それからまだ、10年ほど先の事だった。


※カレーライスの事件については、この記事に書いてあります。

※そして、この、庵忠茂作さんの記事も、面白いですよ。題材は、同じく、カチカチ山です。


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