残り物
残り物なんて書くと、勿体ないとか、言い方を少し考えないと、可哀想だとか、負の感情が芽生えてくるのは、なぜだろうか。
つい最近まで、私には、そういう感情は、少ないものだと思い込んでいた。
去年のクリスマスあたりのある日、次女が、高校時代のクラブ活動の同期で集まるといって、家内に、マンションにある、パーティールームをとって欲しいと依頼があった。
家内は、即座にとったが、クリスマス周辺は、共同で使う部屋の稼動が高くなり、なかなか、とれない。
だが、家内は、過保護である。そして、次女は、過保護のカホコである。必死で探して、ようやく開いている日を、押さえた。
次女の同期は、住んでいるところは、そう、近所ではない。その5人全員が集まり、何年かぶりに直接顔を合わせ、楽しい一夜を過ごしたようだ。
あの頃はまだ、今のような、逼迫したご時世でもなかった。運も、良かった。
翌日。私の晩御飯に、次女たちの残した食べ物が、出てきた。次女達は、運動部だけあって、食べ物とか、片づけとか、掃除などは、きちんとする。だから、直接とったりしていないので、汚くないのは、わかっていた。だが、こう、一瞬、思ってしまった。
え?残り物?
家内は、そういう、私の反応に、敏感である。
すかさず、こう、言ってきた。
コジくん、フードロスハンター(注1)だよね。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジの、負けだな。
一瞬のスキを突かれた。
そして、年明け。1月、正月明けのある日。夕食に、見たことのある、チキンが出てきた。
あれ?これって、クリスマスの……。
家内が、すかさず、こう、言った。
コジくん、フードロスハンター(注1)だよね。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
今回も、コジの、負けだな。
またもや、スキを突かれた。
特段、文句も言わないし。ありがたく頂いたのだが、私の心の中にも、そういう、残り物に対する偏見のようなものが、少しあるのだと、改めて反省した。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
残り物には、福がある。
コジ、忘れちゃいけないね。
確かに。
その夜は、少しだけ、自主トレ(注2)をした。
マッサージをすると、家内は、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)世界中で社会問題にもなっている、フードロスを無くすために、まずは身の回りの賞味期限切れを無くすように、ひとたび賞味期限切れとなった商品をチェックし、たとえ賞味期限が切れていても、匂いや色や味見から食べられるかどうかを真剣に判断し、食べられるものと判断したものは、無闇に廃棄せずにきちんと頂く。そういう活動をする、ボランティアのこと。私が勝手に作った造語である。
(注2)私は、家内のマッサージを、よくする。家内に促されずに、自らの申し出で家内のマッサージをすることを、自主トレと、勝手に呼んでいる。
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