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タヌキ電車

今夜は、もう、4夜目で、関西のおばちゃんのお話をするつもりはなかったのだが、番外編で、関西のおばあちゃんのお話を、ひとつして、関西のおばちゃんの話を、締めたいと思う。

今夜も実話だが、記憶が少し曖昧なところもある。だが、一字一句とは言わないが、ほぼ、会話については、当時をある程度以上、正確に、再現したつもりである。私は、つまらないことは、本当に、よく、覚えている。でも、それが、100%ではないことは、まあ、お許し願いたい。



長女は、幼稚園に入るか、入らないかのとき、この、カバー画像の電車を初めて見て、タヌキ電車と、言った。

どうして、タヌキ電車なのかと聞くと、色が、タヌキなのだと言う。

本当のタヌキの毛の色は、もっとグレーっぽくて、最初、子供の感覚は、大人と違うのかと思ったのだが、ほどなく、家の近所のそば屋の、信楽焼のタヌキが、この電車の色と似ていることを発見し、驚いた。


もちろん、この電車は、タヌキ電車では、ない。京阪神を通る、関西圏では上品だと言われる、阪急電車である。


かなり昔の、長女が、まだ、タヌキ電車と言っていた頃の話だ。

関東に住んで、10年も経たない頃だが、この間に、世の中は、だいぶ、変わってきた。大きな変化は、携帯電話が、ほぼ、世の中に出回り、社用携帯も配布され、年配の一部の人を除いて、ほぼ全ての人が、携帯電話を持っているような時代になった。


私は、神戸に出張が入り、新幹線の中でも、携帯電話のメールで、頻繁にやりとりをしていたのだが、新大阪までに話が終わらず、大阪に着いてもさらに、決着がつかず、そこで阪急神戸線に乗り換えた。

そして、神戸線で発車を待っているあいだにも、メールでやりとりが続いていた。


すると、隣に座っている、おばあさんが、ボソボソと、言葉を発し出した。


この車両はね、電源を切らんといけないんよ。

携帯電話、持ってるでしょ。

みんな。


その声が、落ち着いて、聞こえるか聞こえないかの、小さな、でも、しっかりとした声で、独り言のように、話しているのである。


電車の中にはね、ペースメーカーをつけている人も、いらっしゃるの。

そういう人はね、命の危険があるの。

電波がね、悪さをするの。


ここまできて、私のことを言っているのだと、気づいた。だが、私が座っている席は、優先席周辺ではない。そして、通話しているわけではないから、ルール違反をしているわけではないだろう。


心の中の、リトルkojuro(注1)が、怪訝そうに、つぶやいた。

関西独特の、何か、ルールが、あるんじゃないか。

何か、探したほうが、いいよ。


おばあさんは、なお、話し続けている。


携帯電話を触るんやったらね、場所を選ばんとね。

どうしても、携帯電話を触るんやったらね、隣の車両が、空いてるからね。

行っておいで。


ここまで全部聞いて、ようやく、私は、気づいた。

恐らく、この車両は、携帯電話を触るだけでも、許されない車両なんだろう。

周りを見回したが、なかなか、その印となるものが、見つからない。

どこだ。

どこなんだ。


そして、ようやく、見つけた。

携帯電話電源オフ車両、という、ステッカーを。


東京では、そういうルールは、無かった。せいぜい、優先座席の周辺では、電源をお切りくださいという内容と、車両内ではマナーモードにして、会話は謹んでほしい、くらいのものだった。

だから、この、阪急電車のルールには、少し、ビックリした。


私は、そのあばあさんに、声をかけた。

あの、すみません。東京では、こういう、電源オフ車両というのはなかったので、気づかず、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

もう、携帯電話は電源を切ります。


すると、おばあさんは、にっこり笑って、会釈をしてくれた。


水曜日から、3日間、関西のおばちゃんの話を書いた。そして、今夜、番外編で、おばあさんの話を、書いた。


関西のおばちゃん、おばあさんのみならず、関西の女性は、結構、強烈だと言われることが多い。怖いとか、うるさいとか、図々しいとか、色々言われるし、そういう人が多いことも、事実ではある。だが、もちろん、上品なおばさまも、いらっしゃるし、おとなしい方も、いらっしゃる。

私は、思うのである。

関西のおばちゃんの、本質は、どこにあるか。

それは、声がけが、多いことである。


関西のおばちゃんは、知り合いであろうが、なかろうが、親しげに、人に、声をかける。特に、子供に対しては、よく、声を掛け、話しかけるのである。

私の母も、ちょっとエグい方の、関西のおばちゃんであった。そして、周りの大人のおばちゃんは、すべからく、関西のおばちゃんだった。

母に育てられたつもりではあるが、学校の先生も、近所のおばちゃんも、お店のおばちゃんも、婦人警察官も、みんな、関西のおばちゃんだった。


私が、物怖じをせずに声を出せるようになったのも、挨拶ができるようになったのも、信号無視をしなくなったのも、パソコンのキータッチ音を、なるべく出さないように音を消すようになったのも、スリッパの擦り音をさせないのも、すべて、関西のおばちゃんが、声をかけてくれたからである。


愛すべき関西のおばちゃんたちに、私は、育てられたのである。

悪ガキだった私が、今になり、少しは丸くなってきているのは、間違いなく、成人するまでに、関西のおばちゃんたちの、薫陶を受けてきたからなのである。


母をはじめとする、愛すべき関西のおばちゃんに、心から、感謝の言葉を言おう。

関西のおばちゃん、ありがとうございました。


【追記】

何度も書いているが、私は、企画に参加するのが苦手である。

だが、この記事は、川ノ森千都子さんの、この企画に参加している。感謝をする、という内容であることと、私が、ここ最近、関西のおばちゃん三部作を書いたのは、関西のおばちゃんへの尊敬の念からであることに思い至り、企画に参加することにした。

千都子さんは、凄い。毎日、きちんと複数回、投稿されている。スキの数も、コメントの数も、半端な数ではない。なおかつ、メルマガも発信し、こうした、企画も、数多く手がけられている。

私のような、企画が苦手で、マイペースな記事を気ままに投稿する未熟者からすると、雲上人のような方である。

私は、特に、千都子さんの、御子息へのお弁当の記事の、ファンである。記事を読み、写真をみるにつけ、こちらまで、心豊かになるのである。


(注1)心の中の、リトルkojuroは、昔から、心の中に、いた。私の、本心でもあり、陰の、相談役でもある。まだ、noteの世界では、去年の夏頃から登場した。この頃は、正確には、リトルkojuroという呼び名では、なかった。だが、便宜上、リトルkojuroの、名前で、登場してもらった。

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