見出し画像

やきそば

母は、質より量の人だった。あんまり料理が上手い方じゃない。でも、不味いと思ったことは、正直、私は、なかった。時々、兄に、

お前の味覚は、完全に毒されている。

そういう悪魔の言葉を頂いたが、気にしたことはなかった。


母は、そういう人だったので、私と兄が学生時代、昼ごはんも、お弁当も、ほぼ無頓着だった。特に土日は、昼ごはんを作る。ここは、私の記憶違いも多少はあるが、焼きそばとうどんのツーローテーションが鉄板だった。そこに時々、ソーメンやお好み焼きが入ることはあったが、ほとんど登板機会は無かったと記憶している。兄は量よりも質の人だったので、時々、兄が真剣に改善提案をしているところに出くわすことがあった。


ある日曜日。兄が母に少し食ってかかって改善提案をしている。聞くと、焼きそばが妙に油っぽいというのである。油ぎっていて、とても食べられるものではない。これをおかわりする人間の顔を見てみたいものだという。

ここにいるよ。

思わず声に出しそうになったが、兄は真面目なタイプなので、こういうタイミングで茶化すと手に負えなくなる。心の中で小声で呟いた。


兄は、おもむろに別の皿を持ち出してきて盛り付けられた皿のすぐ横に置いた。そして皿の上の焼きそばを箸で押さえ、油の量を確かめるためにゆっくりと皿を傾けた。

驚いたことに、ちょっとオレンジ色がかった油が、隣の皿の中に大量に出てきた。それにはさすがの私も、言葉を失った。

母は、じっと油の入った皿を見つめ、言った。

これはな、油のようやけど、油ちゃうねん。

たぶん今の私ならば、こう突っ込んだだろう。

ミルクボーイ ちゃうっちゅうねん!

ただ、当時は彼らは存在していなかったから、言わなかった。ただただ、油の量の多さと、証拠をつきつけられても真顔でしらばっくれられる母の度量の大きさに驚いて、言葉が無かった。


尼崎出身の母は、既に他界している。質より量の私のリクエストを、忠実に守ってくれた。私は、母のおかげで、何の好き嫌いもなく大人になれたし、何を食べても美味しいと言える大人になった。母は、病弱な父の看病をすることが多かった。そして健康には過剰に気を遣った。その現れの、ごく一部の思い出である。今は亡き母に、心から、感謝。多謝。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?