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1分30秒

3月12日は、ダイヤ改正の日だった。

そもそも、「改正」という言葉に、毎年のように違和感を感じる。というのは、毎年、そろそろ慣れてきて、生活が馴染んできたと思った時期に、その馴染みをご破算にするようなことが起きるからである。

改正とは、改めて正しくするという意味だと思うのだが、これに違和感を感じるのは、私だけではないはずである。


昨年の夏から、超早朝に出勤することをやめた。上司が、あまりにも早く出勤されるのは、働き方改革の時代にそぐわない。他の部署や人事からの見た目の問題もあるのだと、言い出したので、頭に来て時間を変えたのである。

そして、半年以上が過ぎた。

その後の生活に、ようやく馴染んできたところだった。

ところが、馴染んできた毎朝の列車の、新宿での到着番線が変わってしまったのである。

この3月12日からだ。最寄駅出発、新宿到着の時間は変わらないものの、到着番線が変わると、階段を上り下りのぼりおりする必要が出てくる。

私は、そこから地下鉄に乗り換える。かなり、そこから地下にもぐるのである。かなり早足で移動する。乗り換えの時間があるからである。

その階段の上り下りのぼりおりに、1分30秒を費やす。その1分30秒が、かなりの運動量の変化をもたらしている。息が、あがる。この歳でそれは、かなりきつい。

同じ電車で、同じような境遇の、顔見知りの乗客が、あと、3人、同じ車両に、乗っていた。

1人は、私とさほど変わらない歳の会社員。1人は、かなり若い、20代後半くらいの会社員。そしてもう1人は、小学生だ。

私を含めてこの4人は、かなりの早足で移動し、やっとのことで、乗り継ぎに間に合っていたのである。

いや、小学生に至っては、確実に走っていた。我々に追いつくために。


結果的には、このダイヤ改正を機に、その電車に乗車する顔見知りは、私と同年代の会社員がひとり、脱落した。その人は、恐らく電車を前倒ししたのだろう。


今朝も、私は、息を切らして乗り継ぎを足速に行く。20代の会社員は、足速どころか、小走りに切り替えたので、私は、とうてい追いつかない。私はいつも息を切らし、なんとかかんとか、乗り継ぎに間に合う。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

これでは、改正ではなくて、改悪のような気がするのだが…。


家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所のそばのホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。


マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。


心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、つぶやいた。


さっちゃん(注1)は、毎朝、息が上がっているコジのこと、知らないよな。

きっと。


やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。


だから。


これで、いいのだ。


(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。


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