40年前も今も思いは同じ
最近、京都新聞編『京都・町並散歩 町のかたちを楽しむ』という本を読んでいます。これは、京都の街を形づくる様々な造形を写真と文で紹介する本です。
この本の前書きには、次のような文章があります。
たしかに、ある程度の大きさの街ではこういうことがたくさんありそうです。
話はさらに続きます。
これもどこからともなく聞こえる話です。
続いて、本書は、街並み保存の重要性について訴えます。
私が住む盛岡市でも、紺屋町のマンション建設計画などで同様の事態が生じているので、とても耳が痛いです。
さて、それでは、このような文章を読んで、いつの時代の話だと思われるでしょうか?
…当然、現代、2020年代、少なくとも21世紀に入ってからの話だと思われるかもしれません。
実は、この本が出版されたのは昭和60年、つまり1985年です。このときに建てられた建物が現存していたら、もう「古臭い」と感じてもおかしくないほど時間が経ちました。
言い換えると、今から約40年前には既に現代と同じような問題意識があったということになるでしょう。また、高度経済成長期を迎えた1960年代後半以降は、あちこちで、遊び場だった空き地がなくなってビルが建ったり(ドラえもんでも、最初のころには土管が転がった空き地が良く描かれていましたね)、長く親しまれてきた建物がなくなったりして惜しいという声が聞こえていたように思います。つまり、過去40年あるいはそれ以上に渡って、同じことが指摘されながら、街並みは変わっていき、その一方で社会も少しずつ変わってきたのだと思います。
この間、風景や都市景観は大きく変わり続けましたが、40年前との大きな違いは、経済発展を重視しながら、一度失ったら取り戻すことのできない環境や都市景観を守ろうという機運が少しずつ高まってきたことではないかと思います。「サステナビリティ」という言葉も40年前にはほとんど聞かれませんでしたが、今はどんな企業でも(もちろん、マンションや商業ビルを建設するディベロッパーも)前面に掲げています。そういう意味では、私自身は、たとえいろいろな摩擦や軋轢があったとしても、最終的には、それを解決し、より良い方向に向かう人類の叡智を信じたいと思っています。
なお、この本で取り上げられている題材には「鍾馗さん」「張り出し」「一文字瓦」「むくり屋根」「猿戸」など、京都出身ではない自分には初めて聞くものがたくさんあります。1つのトピックごとに象徴的な写真が掲載され、場所も記載されていますが、40年前の書籍であることを考えると、ここに書かれている造形の多くは既に姿を消しているに違いありません。
このような特徴的な造形を失った京都は京都らしいと言えるのでしょうか?それとも、姿を変えながら少しずつ新しい京都になっていくのでしょうか?私は後者だと信じたいですが、そのときには、いろいろな立場から「京都らしさ」「その街らしさ」を考え、形を変えながらも、「らしさ」を残そうとする不断の努力が必要ではないかという気がします。
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