『たとえ君が売れたら』 3、中弛みの6巻と商店街


彼のこと、わたしのこと、その後もLINEや電話でたくさん話したし、今思えばお互いにとても盛り上がっていて、わたしたちはかなり頻繁に会っていた。
彼はミュージシャン仲間の男性とシェアハウスのような感じで、大阪に来てから生活していると話してくれた。
わたしは当時まだ実家暮らしだったので、彼の住む家に何度も行かせてもらった。
猫がいて、「にゃーさん」という名が付けられていた。
とてもおっとりしていて人懐っこい猫で、わたしとも仲良くしてくれた。
同居人であるミュージシャン仲間の彼も、人見知りながらも共通点の音楽の話などでわたしと仲良くしようとしてくれた。ミュージシャン仲間の彼のことは、ここではすっちーさんと呼ぶことにしよう。
すっちーさんが靴の修理や合鍵を作るお店をやっていて、樹もそこでバイトをしていた。
だから、昼帰りした先日のことを聞くのが怖かった。彼がとても怒られやしなかったかと。
でも、彼から「すっちーさんがお前やるなぁって言われたよ」と聞き、少しホッとした。
彼の住む街は商店街が有名で、わたしの家からは1時間ほどかかる。
でも、いつもホッとした気持ちになれる場所で、大学をサボった日には昼間からよく行っていた。

とある日、すっちーさんが「3人で夜ご飯食べに行こか」と誘ってくれ、彼らの家の近くのお好み焼き屋さんに入った。
その日、わたしはすっちーさんのCDを買い、帰ってウォークマンに取り入れて聴いていた。

「死んだバンドのボーカルが忘れられないって君が言うからさ、バイトさぼっちゃおう。仮想敵国やっつけよ」
「死んだバンドのボーカルの気持ちなんてわからんけどあれから探している。僕だけのハッピーエンド」
あ、この曲、樹を初めてライブハウスで見た時に1曲目に歌ってた曲だ。カバーだったんだ。良い曲だなって思ってた。

「商店街は今日も綺麗さ
イケてないって笑ってくれていいよ
都会が好きな女の子あんなに可愛かったのに
変わらない方が頭おかしいじゃん
って言われても頭おかしいからわかんない
君のマンガ中だるみの六巻
いまでも僕が持ってるよ」

樹とふたりきりの時、わたしは聞いた。
「中だるみの六巻って何?」「んー?、でも、良い歌詞よね」
良い歌詞だと思った。
たぶん、6巻が真ん中になるほど巻数がある漫画の6巻を、君が忘れていったその6巻を、まだ僕が持ってるよ、という意味合いなんだろう。
それをこんなふうに歌詞に表現できるすっちーさんはすごいな。樹とはまた違った良さがあるミュージシャンだな、とその時初めて思った。

樹とすっちーさんが、その商店街のとある喫茶店を貸切って機材を使わず生音で演奏するライブがあるからと誘ってくれた。
浮かれたワンピースを着て、香水をいつもより念入りに振り舞いて、わたしは出かけた。

わたしと初めて会った日の前日、彼は「夏は誰かと待ち合わせするのが楽しい」とツイートしていた。
「あれはかれんのことよ?」と、広島弁で、照れながら、伝えてくれた。とてもロマンティックな人だと思った。


「スカートの丈の丈の向こう側、あの子のエグさをみんな知らない」
「なんだか変な病気にかかったみたい」
「裏道でひたすらロマンティック」
「恋をしているみたいだね」

という歌詞の、「ロマンティックみたいだね」というタイトルの曲だった。
わたしと出会ってから初めて作った歌だと、彼は照れながら言った。とても嬉しかった。
誰かに自分を歌の中へ閉じ込めてもらえたことなんかなかったから、新鮮な気分だった。
とても素敵だった。自分の存在を歌の中に生かしてもらったのはこの時が人生で初めてのことで、とてもふわふわして浮ついた。着地点なんて見つからない。しかもただ新しい恋によろけてるだけではなくて、言葉にするのはとても難しいのだが、彼とわたしは生き別れた兄妹だったのかもしれない、と思うほどに、意気が合ったし、肌も過剰に求め合ってしまう。一緒にいる時はべったりくっついていても、互いの存在に対して全く嫌気がささない。とても不思議だった。これはもう、やっと運命の相手に出逢ったんだ、と思った。本当に好きだった。恋もして、愛してもいた。
ライブが終わって、わたしの終電までふたりで一緒に居ようと手を引いてくれ、わたしがお腹を空かせていたのでラーメン屋に連れて行ってくれた。いつも、ふたりでいると、ずっと喋ってる。たくさんの話をする。どうでもいい話から相手を笑わすためだけの話や、今度会う約束。次のライブのこと。わたしのバイトの話。どこ何処に行かなきゃいけない。わたしの学校のこと。ふたりとも煙草を吸うから、それもとてもピッタリだった。まるでパズルのピースだ。彼もわたしも、一番好きなのは、オシャレで煙草が吸えないカフェより、ミックスジュースとかホットサンドのある喫茶店で時間が許す限り煙草を吸いながら話すことだった。

わたしたちは、会うたびに、なぜか求めあった。
付き合うことになってすぐにラブホテルなんかに行ってしまったせいではあるけれど、何をしても全然足りなかった。
カラカラに干からびた砂漠に水を撒いてもすぐに乾いてしまうように、わたしたちは満たそうとし合っていた。
「バイトがんばってね」「学校ちゃんと行きなよ」
そんな他愛もない連絡をずっと取っていた。

梅田心斎橋千林元町三宮西宮。わたしたちはそこいらで落ち合っては一緒に時間を過ごした。
でも、デートのために会う時より、彼のライブを見に行ったついでに一緒に居ることが多かった。
それは彼と仲の良い人たちとも交流ができてとても楽しかったけれど、彼は決まってお金が無く、保険証も無かった。
だから一緒に使うお金はほとんどわたしが出していた。だって一緒に居たかったから。
わたしはそのためにパチンコ屋、スナック、焼き鳥屋、日雇いの夜勤のバイトと、忙しく働いた。
お金と、彼と過ごす時間は増えたけれど、大学の単位はもちろん増えなかった。

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