稲作が始まったから、弥生時代が始まったという嘘

こんばんは。いしむらたつやです。

皆さんは稲作っていつ始まったのかご存知でしょうか?
僕は昭和60年生まれですが、学校では弥生時代に稲作が始まったと教わりました。

弥生時代は紀元前300年〜西暦250年頃となっていますが、実際にはそれ以前からも稲作が行われていた痕跡が残っています。

現代の教育の区分

大体一般の方(僕も含め)縄文・弥生という時代を分けるとしたらこういう風な感じではないでしょうか?

縄文時代    縄文式土器 
        狩猟・採取生活
        打製石器
弥生時代    弥生式土器
        稲作中心
        磨製石器

縄文時代と弥生時代はこんなに違うと教科書に書いてあったはずです。

戦前・戦中の教育ではどうだったのか?

戦前・戦中の教育では縄文式土器・弥生式土器などの出土品の区別はありました。
しかし、縄文時代・弥生時代という明確な時代区分は存在しませんでした。
ここが今日のポイントです。
戦前・戦中の日本では、日本は神話教育があり
稲作の開始は不明だけども、神代の時代に天照大御神より授かったと教育されていました。神話にそういったエピソードがあります。

では、なぜ現代の区分が生まれたのか?

戦後、GHQの教育改革により日本の神話教育は完全否定されます。
しかし、稲作の始まりをどうしようかと考えた結果、縄文式土器・弥生式土器と区分のあったものに目をつけ、縄文時代・弥生時代と時代区分をつけました。
その弥生時代の始まりは稲作が始まったためであるとしました。

しかし、その後どうなったか?

戦前、日本では考古学が蔑ろにされていました。
皇国史観でしたので、勝手に歴史を語るべからずと言った所でしょうか。
しかし、戦後神話教育が否定された事で日本の考古学研究が進んでいきます。
昭和26年には日本の遺跡で磨製石器が発見されます。
約30000年前のものと推定されており、世界最古の磨製石器です。
日本で教えている縄文時代よりも遥か前よりも磨製石器は使われていました。
その後、考古学研究が進みますが、教科書の内容は訂正されているのでしょうか?

稲作はどうやって始まったのか?

岡山の朝寝鼻貝塚より6000年前に稲作の可能性を示す痕跡が見つかっている。
またこの時代は、九州から関西までは熱帯地域で稲が自生していた可能性もある。
そして、自生していた稲を食べていました。稲も採取してたんですね。
ただ、稲が気候の変動の影響により収穫が出来なくなり、食糧を確保するために水耕栽培が始まりました。何1000年という時間の流れですので、気候変動があります。

稲作の始まりが日本建国の始まりである。

日本という地域は、災害が多い地域である。
地震・台風などの自然災害により、食糧を確保する事が困難な時があります。冷蔵庫が無い時代、長期間保存できる食糧は稲でした。
神話の神武天皇の時代には、関西地方で飢饉があり、食べ物がなくて困ったいた所を神武東征により、稲を持っていき分け与え助け合いました。
大陸では、侵略・征服などで国家というものを形成していきましたが、
日本という地域に住んでいた人々はお互いに助け合って生きていくために日本という国を作りました。

まとめ

考古学研究は日進月歩ですので変わることは理解できます。
しかし、戦後GHQによりかなり日本の歴史は歪められているということ。
それを認識するかしないかで物事の見方がかなり変わるのでは無いかと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。


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