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神社様

神様の存在論は、18世起に完結してる。

五官で感じれないものは考えても分からないから哲学の仕事じゃない、と。

そもそも神は精神の比喩表現であって、精神の内容を人の形で表現したものだから、そういう存在を型どったものではない。

神社の鳥居、参道、宮、鏡と続く通りは女性の子宮口、産道、子宮の比喩で

それの意味するところは生まれ変わり、即ち、改めて心をリフレッシュして生活しなさいとこう意味。

だから鏡(カガミ)から我(が)を抜いたものが神(カミ)─── 我欲、私欲は捨てなさいということ。

じゃあ何でその場所に神社を建てたのかといったら、そこに神様の存在があったから。

翻って18世犯の結論は現代の我々の五宮感覚では分からない、という結編であって、全ての時代、全ての人間に共通した結論は学問では到達しないから、芸術にその答えを求めたのだと考えます。

少なくとも神社を建てた当時の人達は今の僕らより自然を見てた。

現在、超自然と呼ばれるものは昔は普通に自然だったのではないか…。

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