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ランドマーク(125)

「海良の、話を聞かせてくれ」

「『塔』の、ですか」

 ああ、と言いながら先生はホワイトボードを消し始める。話せるようなことはなにもなかった。両親のことを先生は知らない。担任にすら直接は伝えていないことだ。名字と父親の不在から勘の良い人間なら察することもあるだろうけど、この名前はありふれたものだ。うちのクラスに海良は三人もいる。

「分からないことが多すぎます」わたしはそれだけをぶっきらぼうに口にした。事実だった。語るべきことは溢れんばかりにあるはずなのに、それに比べてわたしの両手に抱えた知識は虫に食べられすぎていた。

「まだ若いんだから」

「さっき先生だって」

「それに、本当のところ、こんなことするべきじゃないんだ」

 声をわずかに潜めて先生は言った。「塔」については今もなお表立った情報公開は行われていない。誰もが受け入れている事実だが、それでも口に戸が立てられることはなかった。公的に情報が取り扱われることはなく、ARグラスをかけて眼前に「塔」がそびえることもない。本音と建前、「塔」についての世論を扱う上で、これ以上に便利な言葉はない。

「『塔』は失敗したかもしれないが、委員会はきっと、また同じことをする」

「また失敗するってことですか」もう一度、「塔」を?

「失敗しないために、この夏休みが延びたんじゃないか」

「関係ありますか、それ」

 小野里先生は「塔」に魅せられている。会話を続けるなかで、そんな考えが鎌首をもたげた。先生の説には首肯できない。情報統制は同じ失敗を繰り返さないためのもので、それはつまり、プロジェクト・スクレイパーが未来永劫凍結されたままであるということだ。

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