見出し画像

ランドマーク(132)

「海良って一人暮らしだっけ」

「今話すこと」

「見つかったら親に連絡されるぞ」

「別に」もともと、あってないようなものだ。とりわけ、父性に関しては。

「ていうかさ」かさ、と茂みがざわめく。この山にはざわめきがなかった。風もなければ、身じろぎをする木々すら斜面にはない。生きているわたしたちは揺れ動く。心臓の鼓動は、空気を震わせてしまうのだ。満足に会話も交わすこともできないこの状況に、苛立ちが募る。

「やっぱり、なんで来たの」

「さっき言っただろ、分かんないって」

「心霊スポット巡りですか」

「怒ってんのかよ」その言葉にわたしは応えなかった。

 何も気付いていないらしい。わたしがどうしてこの山へ執着するのか。ならばわたしにだって謝る義理はない。感謝の言葉は喉に支えることすらなく、腹の底で消化されてしまっていた。

「教えてくれたことは、ありがとう」

 わたしは来た道を引き返す。ARグラスのスイッチを入れる。別の登山口への道程を探そうとしていた。天候は問題ない。少なくとも明日の朝までは晴れの予報だ。

 二人で行動する利点は情報処理能力の向上にある。ARをリンクさせることで、擬似的に視界を共有することもできる。身を隠しながら行動する上では、背中にも目が欲しいところだった。それに、いざとなれば二手に分かれることだってできる。それはどちらかを囮にできる、ということでもある。しかしながら、どちらかが捕まってしまえば、いずれはARの通信履歴と位置情報からもう一方の居所も明らかになるだろう。ARの携帯が国民に義務付けられているのは、身体の拡張をもたらす、という建前の元で自死を防ぐためだった。

 とはいえ、前回の登山を思い返してみれば、本当に監視されているのかは怪しい。

 わたしはリスクを天秤に掛け、一人で行くことを選ぶ。なにより、その先を選択することが嫌だった。囮にするのもされるのも御免だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?