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ランドマーク(105)

 パジャマ姿にヘルメットを抱えたわたしは、急な地震から逃げ延びたバイク乗りのようにも見える。さすがにサンダルというわけではなく、ごく一般的なスニーカーが施設の入り口には用意されていた。わたしは裸足のまま、キャンバス地に爪先を押し込んでいく。いままでの扱いからすると不躾といっていいほどに、すべてが雑然としていた。ただ色だけが、塗り固められた色だけが、必要最小限の秩序と権威を守っていた。

 機械があった。タイヤと翼が付いていたから、わたしはすぐに、これで空を飛ぶのだな、と理解した。実物を見るのは初めてのことだ。思ったほど大きくもなかったので、わたしは拍子抜けした。滑走路と思しき直線上の道路へ並行になるよう、それは配置されていた。別にわたしがいようがいまいが、これは空を飛ぶのだな。滑走路をまたぐとスギの林があって、霧に濡れた木々はつやつやと光って見えた。林の中には大勢の人々が隠れていて、わたしの動向を逐一伺っているような気さえした。

 わたしは周囲を見回した。誰も、いない。いるはずなのだ。それは確かだ。にもかかわらず、人影はどこにもない。それがあまりにも不思議で、面白かった。ぐるり、とわたしは回った。左脚を軸にして、不格好なバレエダンサーのように。わたしに向けた視線の持ち主は、わたしを見て笑っているだろうか。

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