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いつかの、(流転)

 そうして、凪を迎えた。雨はまばらになり、風は止み、温度も、わたしの中にあったはずの熱も、すべては静けさの中へ。尾根の上にはわたし一人。死にたがりの、馬鹿が一人。
 
 この山で命を落とした祖母は、死に際に何を思ったのだろう。

 死にたいときに死ねない不自由さ。

 他人のミスで自身が命を落とす理不尽さ。

 後に残す家族への不甲斐なさ。

 呪詛を唱えながら、彼女は意識を手放したのだろうか。わたしはそうは思わなかった。今なら、今のわたしなら、こう考える。
 
 一人きりで死なずに済んだことへの安堵。

 わたしは頂上を目指す。雲の切れ間からは陽光が差し込む。白昼には珍しい、薄明光線、またの名を、光芒、もしくは、天使の階段。雪もない道は、少しぬかるんでいるばかりで、わたしに一切の障害をもたらさない。何も考える必要はない。歩けばいつか、辿り着く。なのに。わたしの頭は、わたしの心情とは無関係に回り始める。

 あれ、おかしいな。失望と諦観。乗り越えた。わたしの声帯が梛さんに向かって震えた瞬間に、わたしはこの思いを乗り越えた。たとえそこに梛さんがいなくても、乗り越えられたはずなのに。
 
 だとしたら、わたしはちっとも変わっていなかった。梛さんと屋上で始めて出会った、あの日から。死にたい、消えてしまいたい、最初から無かったことにしたい、そんな思いを抱えて、薄い膜の内側で窒息しそうになっていたわたし。

 梛さんと出会ったその日。生きていく上で幾度となく繰り返す、一期一会のうちのひとつだと思っていたはずだった。でもその日を境に、わたしの内側の歯車はきちんと組み替えられた。

 わたしの神様。こんな言葉使いたくなかったな、でも、もういいか。山岳信仰の息づくこの山に、許しを請う。神様。あなたとなら、わたしは死ねました。空を飛べました。飛べると思っていました。軽やかな一歩を、まるで青信号の変わり際、横断歩道へ踏み出す一歩みたいに、その一歩を、世界への宣戦布告を。

 カトリック教会の告解室にいるような心地。神様。でもわたしは、変われたんです。別に消える必要なんてないのだと、分かったから。あなたがくれた熱がわたしの内を駆けめぐるから、あの熱が、幾度となく、不快なまでに、わたしを生かしたのです。

 気付くと、足は頂上を踏みしめていた。近くには三角点。ここが一番上。天があるなら、一番近い場所。

 物語を始めよう。

 ボーイ・ミーツ・ガール。ガール・ミーツ・ボーイでもいい。ボーイ・ミーツ・ボーイでも、ガール・ミーツ・ガールでもいいよ。そんなのは問題じゃない。

 主人公は、始めから終わりまで、何も変わらない。そう、これは成長譚じゃないんだ。

 重要なのは、感情。わかるよね。泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり。感情が動くとき、物語は生まれる。それでいい。泣くべき場所で泣いて、笑うべき場所で笑う。それに合うテーマを用意してあげればいい。要は。パズルみたいなもの。笑うべき場所で泣かせようとしたって、ピースはかちりとはまらない。

 今のわたしみたいに。

 わたしは泣いていた。あれ、分からない。正しいピースが、分からない。わたしはわたしが嫌いだ。だから、わたしはわたしの感情を信頼しない。この涙も、苦笑いも、あまつさえ生きたいと願った、曝け出したシナプス回路も、ぜんぶ、ぜんぶ。

 これで物語は終わり。最後には、綺麗な落ちが必要だった。
 
 わたしは走り出す。頭上には天使の階段。駆け下りるわたしは、どこへ向かうの?

 尾根。だいたい九合目。もういいや。もういい。
 
 そうして、わたしは階段を踏み外した。

 ぐるり、ぐるり、意識が回る。後悔、安堵、今となっては邪魔でしかない感情の波が押し寄せるその前に、

 
 わたしは
 

 手放された意識は、深く、深く、そうしてまた、
 
 何度でも、始まりに戻る。



(第一部 了)

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