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ランドマーク(89)

 下りというのは足に悪い。登りよりも何倍も負担がかかるからだ。重力と同じ方向に足を下ろしていく。先へ進むために必要なエネルギーの一部を重力が担ってくれるわけだから、登りより下りにかかる時間は当然短い。しかし、そのエネルギーを地面へ放出する際に反発力を受けるのもまた、わたしの足なのだ。足首、膝、股関節、繋ぎ目にずれが生じれば初めは小さなものでもあっという間に大きな亀裂ができる。なにしろ足踏みは何万という単位で繰り返されるのだ。図らずもそのことを自らの身体で実証することとなった。仮説と実験、科学の基本だ。わたしも生きていたら父や母みたいな科学者になれるだろうか。足をひきずりながらわたしは何度目かの呪いをはじめる。対象はわたし。サポーターもアンクルテープもないこの山中で、わたしは呪いでわたしを縛り付ける。

 痛みに慣れる、なんてことはなく、わたしがほんのわずかでも体重を掛けると足首は簡単に悲鳴を上げてしまう。それに合わせてわたしも苦しげな声を漏らす。かっこ悪すぎて涙が出そうだった。窮地に立たされてもなおわたしの生存本能はソファに寝そべったままで、自分の生が永遠に続くことを疑わずにいる。わたしはそちらへ深くもたれかかっては、大丈夫、と繰り返し自分に言い聞かせる。

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