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ランドマーク(61)

 はじめて恋人ができた日のこと。恋人なんて表現はいまでもすこし照れくさい。ARを使ってかくれんぼをしたり、警察官ごっこをしたり。小学生のわたしにとって、それはただの遊び相手。だから、好き、という感情がいくつもあることを、わたしはちっとも理解していなかった。好きだよ。そう相手が言う。だからわたしも、好きだよ、と返した。あの時のわたしは、どんな歌を歌っていただろう? ラブソングを大きな声で歌いながら、わたしはだぶん、生まれて初めての感情を味わった。ともだちやすき焼きやせんべいに感じていたのとは全然別の。まっさらな驚き。今でもわたしはそのことを、夢みたいに感じてる。あの頃のわたしといまのわたしは、なにもかも違う。この体を作っている成分だって、ほとんどが別の原子に置き換えられてしまった。でも覚えている。胸の締め付け。頭の右上が熱くなる感触。相手とは中学校に入ってから疎遠になって、それっきり。いわゆる自然消滅。
 うれしかった。と思う。誰かから、好き、ということばを掛けられること。友達同士でだって、そんな言い方しない。よっぽど無邪気か、大胆なアプローチか、そのどっちかしかない。わたしはそれ以外を知らない。
 遠い昔のこと。十年もたってないけど、わたしには百年も前のこと。それも、繰り返される眠り、途切れる意識のせい。原色の感情をいつまでも、レジン加工して保存しておけたら。ときどきそうも思う。忘れたくなかった。だから、ほんとうは、眠りたくなんてない。

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