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ランドマーク(82)

 ごろごろと巨大な猫の鳴き声を聞いた。反射的に後ろを振り向く。先程まで歩いていた道から煙が上がっている。背中の汗が瞬間、乾き上がったように感じた。落ちたんだ。本当に、落ちた。ふいに全ての恐怖が形を変える。駆け出していた。祠までの徒競走。最下位は雷に打たれてもらいます。契約書にはサイン済み。一番上には大きな字で自己責任と書かれている。わたしはとっくに了承済みだった。

 走れど走れど祠は目に付かない。もしかすると、わたしは噴火口の縁をぐるぐると回っているだけなんじゃないか。視界が限られているせいで、そんなことすら分からなくなる。下を向いて足下を確認してみるが、進む先にわたしの足跡はなかった。進む以外に道はない。この道じゃなくて、わたしの道。幾度となくそうしてきたのと同じように、わたしは自分に声をかける。わたしの話し相手ははわたし。親友よりも、母親よりも。わたしともっとも多くの言葉を交わしてきたのはわたし自身だ。だから信用するしかなかった。自分自身を信用できないのなら、ほかのどこに拠り所があるだろう。

 その問いへ答えるより先にわたしの視覚が反応を示した。石段だ。明らかに人工物。火口の内側へと続いている。先は見えないが、迷うことなく下っていく。まさか祠に向かう過程で祈ることになるとは、我ながら面白い洒落だ。

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