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ランドマーク(84)

 どれくらいの時間が経っただろう。風と雨、それから雷。わたしがいくら耳をふさいだってこの世界はわたしへ干渉してくる。運が良いのか悪いのか、雷には打たれることのないままでわたしは祠に寄りかかっている。両足を投げ出して、ちょうど背中をもたれかけるような格好になる。五体投地ってこういうことなのか。わたしは何をするでもなく、ただ父との記憶をなぞっていた。宇宙へ人間を送り届けようとした父。国力を誇示する手段としての〈塔〉。この二つの事実から推測すると、父は愛国者だったことになる。わたしの記憶にそんなエピソードは見当たらない。不思議だった。なにしろ設計者は父自身なのだ、早急にプロジェクト・スクレイパーを推進することの危険性は承知していただろう。まさか自分が命を落とすことになろうとは、夢にも思わなかっただろうが。でも父が、ここまでリスクをはらんだプロジェクトに諸手を挙げて賛成するだろうか。科学者は多少なりとも狂った倫理観を持っていなければやっていけない、なんてのは過去の遺物みたいな偏見だ。現在なんらかの研究職に着任するためには半年間の倫理哲学プログラムを修了することが義務づけられているし(これは母から聞いた話だ)、誤った目的意識に基づいた研究は国が承認しないため、研究予算は下りない。「資源の無駄」だからだ。

 じゃあどうして、国と父は多くの「資源」を奪う可能性を残したまま〈塔〉の建設に着手したのだろう?
 

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