ランドマーク(81)
数十秒おきの雷鳴を聞きながら稜線を歩く。霧がだいぶ濃いからひどく見通しが悪い。この道は火口へ続く道。この山の頂上は火口のふちにあって、そこへ至るまではだいたい楕円を半周する必要がある。祠はかつての噴火口の内側に安置されているはずだ。でもこの天気じゃあちゃんと見つけられるか怪しい。わたしはどこへ向かっているのだろう、という疑問が何度かわたしの胸を横切った。道っていうのは本来果てしなく続くものだ。生まれてから死ぬまで、たとえわたしが死んだとしても、後ろを歩くだれかが追い越していく。途中で枝分かれを繰り返し、また一つの道になったと思えば、ふたたび分かれる。何本かは途切れるだろう。その代わりに新しい道が生まれる。終点はない。
抽象的な話だったが、今の心情にはよく合っていた。生命に危険が及んでいるというのにわたしの頭は物語を求めている。頂上に至るまでの道は収束する道。いくつもの登山道が合流して、明確な頂上という終わりを目指している。わたしが描く道とはまるで逆だ。終わりがあるから登る。果てがあることを信じて登る。
だとすると、〈塔〉は禁忌を犯したにも等しい。頂上からその先に続くよう、果てしなく長い道を作り上げてしまったのだ。人は神に近付きたがる。そうであるならば、父は神に成り代わろうとでもしたのだろうか。
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