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ランドマーク(86)

 ああ、雨足が強さを増した。しばらく経てばまた弱まるだろう、という予想がどれほどに無駄なものであるかを、わたしは経験から痛いほどよく知っていた。窮地に追いやられた人間は、得てして自分にとって都合の良い解釈をしたがるものだ。決断の時は近い。次に弱まった瞬間を狙って、駆け下りる。といってもぬかるんだ山道だ、転倒の危険性を踏まえるとそこまでの速度は出せないだろう。それにわたしの体力にだって限界がある。行動食を口にしたところで、張りを訴えるふくらはぎまではなだめすかすことができない。
 祠にもたれかかったまま、下肢を触診してみる。太股、痛み、張りともになし。膝、左に多少の違和感あり。おそらく運動不足。下りの負担に注意。ふくらはぎ、両脚ともに張り、中程度の倦怠感。水分および塩分不足の可能性。足首、左を内側に捻ると少々痛む。 コンディションは決して良くない。当たり前だ。普段は運動もせずキャンバスの前に座ってばかりのわたしが、衝動に任せて山に登る。承知の上でここまできた。自分の命を軽んじるゲームに興じて、でも最後の一歩で怖じ気づいて。歩こう。雨はわずかに弱まる。わたしの先は短くとも、行く道の先は長いのだ。

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