見出し画像

ランドマーク(100)

 わたしは布団からひょっこりと顔を出した。わたしの乗る船は、この部屋よりももっと小さい。誰もいない、わたしだけの空間。もう慣れっこだ。独りでいるのは怖くない。湿気た海苔の匂いを思い出した。誰かのための孤独なら、それは本当の孤独じゃない。

 呼吸が浅くなったことを感知したのか、枕元のスピーカーから声が聞こえる。

「おはよう」母の声だった。

「うん、おはよう」わたしは気恥ずかしさを覚えた。布団を被ったまま話すなんて、よくよく考えてみれば、もうそんな歳でもないだろう。わたしは自分で目覚ましを設定できる。ここにはないけれど。

「わたし、今どこ?」
「打ち上げはまだなの、試験がある」
「母さんは?」
「同じよ、でも直接は会えないの」

 知ってる、という言葉を押し殺した。最初で最後の親孝行を全うする義務がある。わたしがわたしに課した義務だ。

「顔くらい見せてよ」

「ごめんね、ほんとうは」言いかけて、母さんは口をつぐんだ。わたしはそれが謝罪へのためらいなのか、別の何かに対するものなのか、分からなかった。

 試験の概要が伝えられたのは、それから一時間も経たないうちのことだった。深海に沈め、深いプールに沈め、こんどはさしずめエベレストかマリアナ海溝だろうな、と(被害)妄想を膨らませていたところにもたらされたのは、きわめて簡易なヘルメットがひとつ。戦闘機を用いた飛行訓練。それが概要だった。パイロットスーツなしでの加速度訓練だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?