落下傘(上)
夜中の2時過ぎに目を覚ましたとき、激しすぎる雨音に起こされたのかと勘違いをした。枕元の黄色に点滅する液晶画面が目に入ってはじめて、私は携帯の通知に叩き起こされたのだということを知った。赤色は急を要する出動司令で、黄色はそうでないもの。つまり、血眼でこの土砂降りの中を犯人探しに走り回る必要はない。事実はただひとつ、人が死んだということだ。
夏に雨が降るのは珍しい。リヨンの街は夕方までからりと晴れていて、夕焼けさえ見えるほどだった。数時間前の私はそれを南向きのバルコニーから眺め、翌朝またローヌ川の向こうから登ってくる朝日のことを思い浮かべていた。
この調子が続けば、ロワール川は溢れるかもしれないな。上流のオルレアンでは数年に一度、氾濫のニュースが伝えられている。もぞもぞとソファーベッドから這い出し、仕事用の制服に着替えながらテレビを付ける。オレンジ警報が出ていないところを見ると、この雨はつい先程降り始めたもののようだ。
モルグに到着しても、雨は弱まるばかりかいっそう勢いを増すばかりだった。車のエンジンを止めてドアを開けるまでのわずかな間でさえ、ばらばらと降り注ぐ雨粒は静寂を許さなかった。
すでに関係者は集められていた。みな一様に疲れ切った顔をしているが、それが夜中の呼び出しのせいか、この一月で二人目の自殺者が出たせいなのかは分からない。
「お疲れさま、また大変なことになったな」
「あなたが代表の。親族に連絡は入れました。ナントの方みたいですから、時間はかかるでしょうね。この雨ですし」
検死官から簡単に説明を受けながら、私は死体の顔をまじまじと見つめた。体の持ち主はリュカ・ブラン、ESA所属だった第5世代の宇宙飛行士である。
宇宙飛行からの帰還者における自殺率の増加傾向は特にこの20年間で顕著だった。せいぜい数百人の退役飛行士が死んだところで出生率や平均寿命が変わることはない。しかしながら、人類の先頭に立つ人材であるはずの彼らが次々と自死を選ぶさまは、世界へ少しずつ暗い影を落としていった。
「またですか」わたしが渋々口を開けば、検死官が応じる。
「咳止めのオーバードーズです。遺体のそばにはシロップのボトルが5本転がっていたそうですから、意図的に致死量を超えたんでしょう」
宇宙飛行からの帰還者が命を絶つことは、別段珍しいことではないのだ。だからこそ、検死官と私、それから数人の警官はこんなにも落ち着き払っている。
「遺書はありますか」と質問をすれば、見知った顔ではない警官——新人ではなく転勤組なのだろう——はそれを待っていたように懐から封筒を取り出した。
「まだ封は切っていませんよ。私が開けても構わなかったのですが、ここはご両親か、あるいは専任のあなたがやるべきです」
わざわざ封筒に入れてあるということは、それだけの覚悟があったということだ。そこらの紙に書き付けて終わり、のような衝動にまかせたものではなく。「ああ」
封筒とレターオープナーを受け取り、おもむろに封を開ける。ばらばら、ばらばら、私の手は震えていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?