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【書評】エントロピー FOR BEGINNERS_藤田祐幸他

皆さんは、エントロピーという言葉を聞いたことがありますか?

私も一応理系大学生だった端くれとして、エントロピーという言葉を大学時代に聞いた覚えがあります。

よくエントロピー増大の法則を部屋の散らかり具合に照らし合わせて、よくたとえたものです。。。

「整理整頓した部屋はエントロピーが小さいが、時間を経るごとにエントロピーが増大、つまり部屋は散らかる方向に向かっていく」

統計力学的に、エントロピーを簡単に説明すると「乱雑さ」の指標となります。これまで、私は部屋の例のような程度、もしくはビーカーの中で化学物質が溶解していく過程での話でしか、エントロピーを考えていませんでした。

しかし、今回この本を読んで、私たちが生きているそのものがエントロピーに深く関わっているのだということを改めて実感しました。

以下で、私が特に印象に残った内容を3つだけまとめたいと思います。

こんな人にオススメ!

・エントロピーの初歩的な概念を理解したい人
・環境問題に関わる人
・自給自足の生活に興味のある人

エントロピー(FOR BEGINNERSシリーズ)

ポイント① 科学は誰のものか?

そして、科学者はそうした問題に対して、自分は専門ではないからと、言い逃れをしてまわる姿を見てしまったのです。

科学と聞くと、自分を文系だと思っている多くの人は
「あぁ〜私にはわからないことだ」
「自分には理解できないから関係ないことだ」
と思ってしまうのではないでしょうか?

そんなことは、本来ありえません。
地球上で生きている人たちが、科学を理解して置かなければならないのです。

そもそも、大昔の学問は今のように細分化されていなかったので、かの有名なアリストテレスは哲学者であり、政治学者であり、宇宙論者であり、天体学者、自然学者、気象学者、演劇学者でありました。もちろん、この〇〇学者というのは後世になって人々が規定したものになります。アリストテレス自身が名乗っていたわけではありません。

アリストテレス自身は学問など気にせず、多岐に渡って多くの研究をしていたのです。

もともと学問は一つであり、複数の気になったことを同時並行でおこなうものだったのです。そこに文系・理系の区別はありません。

これが近代の分業化に伴って、学問が細分化されるようになった頃から「専門家」という職業が生まれるようになりました。

「専門家」が生まれてからというもの、大衆は科学者を「自分たちには縁のない高尚な学問をする人」と思い込むようになりました。本の中では、きっかけはガリレオの自説撤回にあると記述されています。

「専門家」の登場によって、科学は大衆の日常と綺麗に切り離されてしまったのです。

近年では、下水処理場の問題や原発の問題などの汚いもの・都合の悪いものは、大衆の目から見えないところに置かれがちです。これらの課題をすべての人が考えていくべきはずなのに、大衆の生活の中でこれらの課題は「存在しない」ものになってしまっています。

当然ながら、大衆は、便利な生活を営むことで生まれる課題を「すべて科学者が解決してくれるだろう」と他人事のように考えるようになります。そればかりか、もはや大衆は、そのような課題の潜在可能性にすら気にも止めなくなります。

近代科学が発達する以前、人間は身の回りで起こっているできごとを自然の力を借りながら、解決してきました。しかし、現在では、大衆こそ科学を理解して扱うべきであるはずなのに、その責任を放棄してしまっています。

科学者とそれ以外の人たちという現代の構図は、自分たちが生み出す問題を先送りにしているに過ぎないのです。

ポイント② 汚い雑巾で机をきれいにできるか?

「エントロピーが机から雑巾に乗り移ったと考えていいのですね」「そうです。雑巾のエントロピーが低ければ低いほどきれいにすることができるのです」

エントロピーという言葉が使用される熱力学には、第一法則と第二法則があります。

第一法則は有名な保存則。エネルギー保存則や質量保存則、運動量保存則など世界のエネルギーの総量は一定であるとしています。

エントロピーは熱力学の第二法則に出てくる概念であり、その法則が「エントロピー増大の法則」です。

エントロピー増大の法則は、不可逆過程であり自然では後戻りできません。複雑で乱雑であればあるほど「エントロピーが大きい」と表現します。

よく例えられるのが、水に落としたインクです。
水とインクそれぞれはエントロピーの小さな物質ですが、コップの水にインクを垂らすとエントロピーが大きな溶液が出来上がります。水や垂らしたインクが自然状態で元に戻ることは不可能です。よって、これは不可逆過程であると言えます。

熱は温度の高い方から低い方へ流れますが、この逆は起こりません。温度が高いというように、拡散することができる状態であることは、エントロピーが小さいことを指します。

燃料を燃やして列車を動かすというのもエントロピーが関わっています。
列車を動かすということは、燃料から車体を動かすための仕事を取り出すということです。そのためには、水や空気などの低エントロピー資源を、排熱などの高エントロピー資源に変換しなければなりません。

鉄鉱石から鉄を取り出すのにもエントロピーが関わっています。鉄鉱石は、錆(酸化鉄)と多くの不純物を含む石です。この鉄鉱石から、錆や不純物などの汚れを取り除くためには先ほどの低エントロピー資源を必要とするのです。

または、雑巾を例にとると分かりやすいかもしれません。

汚れた机(高エントロピー)はそのままにしていてもきれいにはなりません。汚れた机をもとのきれいな机に戻すために、あなたはきれいな雑巾(低エントロピー)と汚い雑巾(高エントロピー)のどちらを使用するでしょうか?

もちろん、あなたが選ぶのはきれいな雑巾でしょう。

なぜ、きれいな雑巾で机がきれいになるのでしょうか?(当たり前のことを言っていますが…)

それはエントロピーの状態が、汚れた机(高エントロピー)からきれいな雑巾(低エントロピー)へと乗り移ったからです。雑巾のエントロピーが低ければ低いほど、乗り移る流れは早くなり、より机をきれいにすることができます。

私たちの身体が朽ちないのはなぜでしょうか?
エントロピー増大の法則に従えば、私たちの身体はエントロピーを増す方向へと進むはずです。

私たちの身体が朽ちないのは、食べ物から新たな細胞を作り出しているからです。新たな細胞を作るためには、低エントロピー資源(水、空気)を高エントロピー資源(汗、体熱、二酸化炭素、糞尿)に変換する必要があります。

エントロピーが高いものを低いものとして取り出すためには、何かのエントロピーを上げる必要があり、このエントロピーの変換によって我々が生かされているというのは、私にとってこれまでなかった考え方でした。

ポイント③ 「水の循環」こそが鍵

「壮大な話ですね。バクテリアがほのかに発する吐息の熱が、そのまま宇宙のかなたに散らばっていくのですね。水蒸気が雲になるということは、そんな意味があったのですか」

我々の身体を健康に保つためには、代わりの低エントロピー物質を高エントロピー物質に変換する必要があります。

そう考えると「いつかは地球上の物質すべてが高エントロピー物質だけになってしまうのではないか?」と考えるのではないでしょうか?

もちろん、単純に(地球を閉鎖系と)考えれば、いつかは高エントロピー物質だけの地球となってしまうでしょう。

しかし、地球は内部の循環と宇宙空間との相互作用(開放系)によって、高エントロピー物質を貯まらないしくみを形成しています。

鍵となるのは「水の循環」です。

生物が生活するためには、エントロピー物質を外に排出する必要があります。このとき、エントロピーは熱もしくは物質として排出されます。

物質として排出されたエントロピーは、有機物として微生物に無機物へと分解されます。微生物はこの変換の際に、同時に物質のエントロピーを熱のエントロピーへと変換します。

このとき、熱のエントロピーは地球上に永遠と貯まるわけではなく、水に吸収されることになります。水は熱のエントロピーを受け取ると水蒸気となり、大気中を上昇します。その後、上空で水蒸気が冷やされると、再び水に戻ります。

このとき水は凝固熱と呼ばれるマイナス数十度という熱を放射します(長波長放射)。

地球は絶えず、太陽から低エントロピーの光や熱を受けていますが、これに対して、高エントロピーの熱を放出することで地球内の環境を保っています。

高エントロピーだった水は、宇宙へ熱を放出することでもとの低エントロピー資源として地球に降り注ぎ、再度地球上のエントロピーを回収します。

微生物が放出した熱を、水の循環によって宇宙へと運んでくれるため、我々は健康的に生きていけるのです。

「循環」を一つのキーワードとして、我々がなぜ健康的に生活を送ることができるのかについて考えてみましょう。そもそも、現代の私たちの生活は健康的と言えるのでしょうか?

現状は否です。

そもそも、現代の住宅は「循環」と切り離された構造をしています。
下水は下水処理場へ流れていくし、エアコンの熱は外へ排出されます。ゴミはゴミ処理場へ回収されるし、電気は常に供給されますが作られているのは遠くの発電所です。高エントロピー資源が住宅の外へと排出されるために、その住宅内の健康状態は保たれます。では、排出先はどうなるでしょうか?過剰に排出された高エントロピー資源によって、排出先の環境は悪化します。

現代の生活は過剰な高エントロピー資源によって、環境が犯されているのにも関わらず、そこに目を向けず無知であろうとしているのが現代人です。

地球に降り注いだエントロピー量と同じ量を排出できれば、地球を健康的に保つことができますが、日々排出されるエントロピーはそれをはるかに上回っているともちろん不健康になってしまいます。

健康的な生活を送るためにも、自らの生活にも循環を取り入れるという考え方が必要になります。

能率をとるか?効率をとるか?

この本は、エントロピーという考え方を使って最終的に原発の核燃料のゴミの問題まで言及していきます。

現代は能率を追求するあまり、効率の悪い世の中になっています。車がその際たるものです。

私たちの世代は、生まれた頃から便利な物に囲まれて生活してきました。そのために、何も疑問に思わず、科学技術によって生まれた機器を使ってきました。

しかし、一度立ち止まって、これまでの生活を見直すべきではないか?と考えさせられる本だったように感じます。

核ゴミの問題は自分ひとりだけでは解決できないかもしれませんが、自分の身の回りだけでも解決に向かうようなスタイルで生活を送れるようにすることはできるはずです。

この本の最後に書いてあった言葉にとても共感をしたので、それを引用してまとめにしたいと思います。

電気を使うのはいいだろう。水道を使用するのも結構だ。しかし、それだけに頼るのではない。何か事があったら、電気がなくても生活できる術を確保しておこう。水道が止まったら、井戸が使えるように用意しておこう。それも電動のポンプであれば電気が止まれば使えない。しかも、どんな時でも使えるように井戸を健全に維持しておこう。井戸だけでなく、きれいな地下水の湧く場所も確保しておこう。食料も、普段は贅沢な物を買って食べても良いが、自分の食べる分は自分で供給できるようにしておこう。

エントロピーについてこれまで知らなかった人にも読んでほしいなと思った一冊でした。

#エントロピー #環境問題 #原発 #生態系

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