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人間としての責任は泣くことと笑うこと

#Social Justice Retreat

人間として生まれた私には、人間として生きる責任がある、と私は思う。人間として生きる責任とはどういうことかというと、私としては、人間を、人間以外の存在を、愛することだと思う。それから、人間と人間との関係を、人間と人間以外の関係を、愛すること、それをすることが、人間として生きる責任を果たすということだと思う。私としては。

具体的にどうすることかというと、泣く気持ちになったときには泣いて、笑いたい気持ちになったときには笑うってことだと思う。
例えば、密猟者に殺されたゾウを「可哀想だね」とすまして言うのではなくて、ボロボロ涙を流して全身で泣く。「仕方がない」と諦めるのをやめて「こんなの嫌だ」と怒って泣く。それから、「どうしようもない」と絶望するときには、本当に膝をついて頭をうなだれる。歓喜を奥歯に噛みしめるのをやめて飛び上がって叫ぶ。

そういうことをするのが、人間としてあるための大切な務めのひとつだと私は思う。あるいは、私が私であることの責任かもしれない。

私が感じたことを感じたように世界に表現すること、あなたが感じたことを感じたように全身で世界に表現すること以上に私たちがする必要があることなんて、本当はないのだと、私の心は信じている。

安心できるから、それをしても大丈夫な安全があるから、だから表現するのでないんだ。それは逆さまである。
私にそうだと感じられるような安心を生み出すのは、安全を創り出すのは、他ならぬ私なのだ。
平和とは瞬間ごとに今を生きている命そのもののことである。まずがまず、自分がそれをする。


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