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【子育て】子どもの話がよくわからないとき、もしくは子どもの話の内容に興味が持てなかったとき【他者】

わが子と言えど、やはり子どもは自分とは別の人格で、絶対の他者です。当たり前といえば当たり前ですが、昨夜の長男とのやり取りから、改めてそんなことを考えました。

息子は夕食後にコロコロコミックを楽しんでいました。

私は食器を洗ったりフライパンを洗ったり。

キッチンのカウンターをはさんで、一緒の空間にいて同じ時間を過ごしながら、特にかかわることもなく、ごくごく平凡に過ごしていました。

話の内容が面白いのか、息子はときどき不意に笑い声を出しながら、私はスマートフォンから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌いながら別々のことをしていました。

小さいころから近所の方、保育園や幼稚園の先生などから「お話が上手ね。」と褒められてきた長男。

YouTuber気取りで「ちなみに・・・。」なんて言葉を使って私たち夫婦にコーヒーを噴き出させかけた長男。

突然「ねぇねぇこれね、どっちが・・・」話しかけてくる(確かそんな言い方だったはず)。自分が面白いと思ったことを別の誰かと共有したい、それはごく自然な心の動きだと思いますし、子どもにとって親は基本的に欲求を受け止めてくれる存在であるのも間違いないでしょう。

でも、コロコロコミックなわけです。

確かに買い与えましたが、そもそも私は読んだことがないし、読みたいと思わない。

年齢の割には、親の贔屓目があるにしても、長男は話が上手だと思います。自分を比較対象にしてもしょうがないのですが、同じくらいのときの自分よりきっと話は上手。

文章にしながら冷静に考えてみれば、一生懸命伝えようとする姿は可愛いし、健気だと思います(ずいぶんデカくなったので、可愛いは適切ではない気がします)。

私自身もマンガもゲームも好きなので、大体の話にはついていけますが、さすがに読んでいないコロコロコミックであり、その中の一つの話を広げられても困ります。

話を聞いていて面白くない。それ以上知りたいと思わない。

私がそのとき下した判断は、「そろそろ風呂に入ったら。」でした。

何の落ちもありません。

もう少し、ちゃんと子どもの相手をすべきだというご意見もあるかと思います。しかしながら、私の目の前の現実はこんなものです。単に話の方向を変える言葉をかけただけ、です(風呂に入ることは必要なこと、ですし)。

ここまで読んでくださった方がいたら申し訳ない内容ですが、子育てをしているとこのようなこと(子どもは他者であると)を考えたり、このようにして自分の行動を顧みたり(省みたり)するわけです。

子どもたちはこのままいつまでも話しかけてくれるわけではないでしょう。こちらの都合がいいときに可愛がるだけの存在ではないわが子たち。自分がこんな文章を書くだなんて夢にも思っていませんでした。こんな文章をわが親が書いているだなんて子どもたちは夢にも思っていないはずです。

息子との日常が私の人生であとどれくらいあるのかはわかりませんが、少なくとも彼が私に与える気付きや驚きは、関わるほどに増えていくと思います。

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