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「寄り添う」という曖昧で便利な言葉

「寄り添う看護、寄り添う医療ってなんですか?」

という壮大なテーマについてです。

先日、医療従事者ではない一般の方とお話していた時に、とても興味深いなぁ、と思うことがありました。

その方は、最近NHKで特集されていた、「コロナ最前線で働くナースたち」のドキュメントをTVで見られたそうなんですが、(タイトルはだいたいのニュアンスです)

その中で現場で働くナースが言っていたセリフにひどく感銘を受けられたそうで。

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ずっと先が見えない状況で
毎日防護服を来て患者さんに笑顔を見せることも出来ない。

患者さんに寄り添った看護ができないことが一番ツライ・・・

だからもうこれ以上、看護師を続けていける自信がない・・・


こう言いながら、そのナースは涙していたと。

そしてそのドキュメントの1シーンを見て、いたたまれなくなって、つい泣いてしまったんだ、と。

改めて、看護師というのは本当に尊い仕事だ!
すごい仕事だ!
と熱くなっておられました。

ちょっと待って下さい。


看護師が患者さんに寄り添うって、顔を見せて笑顔を向けることだけだと思ってませんか?
ベッドサイドで手を握ること、だと受け取りましたか?

「寄り添う」ってなんでしょうか。

これは、あらゆるサービス提供者や、商品開発、営業マン、学校の先生なんかにも言えることですが、顧客や対象者に寄り添わないといい仕事はできない、商品も売れない。

こういうお仕事は多いですよね。

私達看護師でいうと、

□患者さんの心に寄り添う
□患者さんの痛みに寄り添う
□家族さんの不安に寄り添う

いろんな局面で使われるこの「寄り添う」という言葉。

とても曖昧で、すごく便利な言葉だなぁと思うわけです。

「寄り添う」という言葉の意味を調べてみると、

・そばに寄ること
・共感すること

という、2つの意味があるようです。

類義語としては、「付き添うこと」とありました。

つまり。

「寄り添う」という言葉の意味だけを、そのまんま認識してしまうと、

物理的に近くにいて、頻繁に部屋を訪れたり、ベッドサイドに腰を下ろしてお話したり、時にはタッチングをする、みたいなことができないと、寄り添いそびれることになります。

(「寄り添いそびれる」ってなに?)

これが、今のコロナ患者さんに対するナースのジレンマで、コロナ最前線で働くナースが流した涙の原因である、と。

ドキュメントの切り口がだんだん見えてきます。

もう一つ、寄り添う、の意味の2つ目は「共感する」こと。
これは、精神的・心理的な側面から、相手の思いを汲み取るとか、相手の気持ちを尊重するだとか、患者さんの訴えに対して、可能な限り向き合って、応えること。

これを総称して「寄り添う」と表現するようですが・・・。

これも、訴えのない、状態が悪化していく挿管患者さんを前にすると、寄り添いそびれそうですね。

なるほど。


患者さんの思いをゆっくり傾聴して、いつも笑顔で、優しい白衣の天使、というのは、いろんな媒体でよく描かれています。
学校でもそう教えられるかもしれないし、ドラマやドキュメントでは完全にその側面が描かれます。

現に、国営の放送局で、「患者さんに笑顔を向けられない、そばに居られない、だから看護師を続けられない」と涙するナース像を描いて、一般視聴者の心をズキュン、と捉えてるわけです。

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「寄り添う」の曲解を促すドキュメントは悪手である


「喋れない患者さん」も居るんです。
「明日死ぬかも知れない患者さん」が目の前に居る。

わかりやすくコロナでいうと、
「呼吸状態が悪化して緊急挿管されて、ECMOにのせられた患者さん」は、報道でも頻繁に扱われます。

その患者さんを目の前に、手も足も出ない家族も居ます。

こういう状況でも、私達はプロとしての「仕事」を求められるんです。

例え何の訴えがなくても、私達の表情や声を認識できない患者さんが相手でも、例え防護服を着ていても、私達には、その状況で求められるパフォーマンスがあるんです。

看護師が患者さんに寄り添うことの「本質」は一体なんなのか。

私なりに考えてみると、とても月並みですが、

目の前の患者さんの、その瞬間瞬間の「問題」を解決し続けること

だと思っています。

どこかが痛いかもしれないし
眠れないかも知れない
漠然と将来が不安なのかも知れないし
具体的に、家のことや仕事のことが心配なのかもしれない。
息が苦しいかも知れないし、吐き気がするかもしれない。

まだこの時点では意識がありますが・・・

もっと言うと、寝返りが打てないかもしれない、自分で栄養摂取ができないかもしれない、排泄ができないかもしれない、血圧が維持できないかもしれない、今、胸やお腹を開かれてる真っ最中かもしれない。

こういう患者さんにも、寄り添うんです。
寄り添わなければならないんです。
そういう仕事です。

つまりね。

あらゆる「非日常」の環境に置かれた、自分では到底コントロール出来ない状況におかれた患者さんが、その瞬間求めるものをキャッチして、これにレスポンスをすること。

これが寄り添うこと、じゃないでしょうか。

「患者さんが求めるもの」というのは、患者さんが自分の口で発言して求めるものだけじゃありません。

看護師が考える、医療者側が判断する、今この患者さんにとって必要なことも、「患者さんのニーズ」に含まれます。

私達は、患者の立場に立って問題解決をする医療従事者である。

ここだけ軸に持っておけば、例えガウンを着ていても、マスクを付けていても、N95マスクで声がこもっても、表情が見えなくても。

やることは一つです。

「業務に追われている」という感覚


これは業務であって、看護ではない、という言葉はよく聞きます。
これはやらされている仕事であって、やりたいことではない、という相談もよく受けます。

ただ、過去にメインの動画でも語ってますが、仕事には追われる仕事と追いかける仕事の2種類があります。


追いかけられる仕事=業務
追いかける仕事=看護

と仮に、乱暴に分類してしまうのであれば、どうせやらなければいけない「業務」の部分を、患者さんにフィットしたものに改善していくこと、そして看護師が少しでも楽になるように、その業務自体を効率化していくこと。

これを「追いかける仕事」として捉えて取り組んでみるのもひとつです。

「業務」と分類されている内容の中にも、患者さんに寄り添う部分はつくっていけるんじゃないでしょうか。

そこで生まれた、時間の余裕は、心の余裕を生みます。

例え数分でも、自分ならではの仕事が一つでもできれば、私達の仕事における「やりがい」や「満足度」は自力で上げていけるんじゃないか。

私はそんな風に考えております。

そもそもドキュメントを鵜呑みにするなかれ

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私が若手の頃働いていた病院では、スーパードクターに密着!!みたいな企画で、TVのクルーがずっと先生について回っている、という状況に出くわすことがあったんですが、この密着されてる先生って、普段とだいぶ違うんです。

まず、身なりから違う。
着ている白衣から、髪のスタイリングまで違う。
喋り方も違う。

ドキュメントなんて、そんなもんです。
あれはノンフィクションの「作品」です。

作り手の視点や、表現したい世界観や切り口が存分に反映されるので、
客観的な視点で、事実を描写する「報道」とは全く別物なんだ、ということを最後に付け加えまして、Nラジ文字起こしを終わりたいと思います。


看護師は尊い仕事である。

ここには激しめに賛同する、看護師Nバクがお送りしました。


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