見出し画像

サントラ「フットルース」:売れたアルバム検証シリーズ③

サントラブームを本格化させた1枚

80年代は映画のサントラが数多くヒットしました。歴史をたどると60年代の「卒業」(ダスティン・ホフマン主演、サイモン&ガーファンクル)、70年代の「サタデー・ナイト・フィーヴァー」(ジョン・トラボルタ主演、ビージーズ)、「グリース」(これもジョン・トラボルタ主演、フランキー・ヴァリ他)ときて、83年の「フラッシュダンス」(ジェニファー・ビールス主演、アイリーン・キャラ他)から一気にサントラブームが花開いた感じがします。中でも今回紹介する「フットルース」は80年代派には印象が強く残っています。ケヴィン・ベーコンの出世作でもありますが、映画そのものは今見ると「こんなにシンプルなストーリーだったっけ?」みたいな青春映画ですが(その後まさか2011年にリメイクされるとは!)、サントラ自体は本当に素晴らしい内容で、売れたのも納得。米1位・英7位、年間チャートで米9位・英48位。アメリカだけで900万枚売れたようです。
さて、全曲紹介とその頃の各アーティストの状況について記載していきます。

Kenny Loggins "Footloose"

一時期AOR路線に走っていたケニー・ロギンズですが、82年の「ハイ・アドヴェンチャー」あたりから明るいアメリカン・ロックに変わり、その路線を継承したといえる曲。作曲は「フェイム」で名を挙げたディーン・ピッチフォード(全曲の歌詞を担当)とケニーの共作。米1位・英6位を記録。
「フットルース」成功後、ケニーは次々とサントラヒットを飛ばしますが、個人的に思い出深いのは久々のオリジナル・アルバム「ヒューマン・ヴォイス」が丸々「フットルース」の焼き直しっぽかったこと。

Deniece Williams "Let's Hear It for the Boy"

作曲はディーン・ピッチフォードとこれまた名ソングライターであるトム・スノウの共作。米1位・英2位とこれまた大ヒットを記録。
デニース・ウィリアムスは元々60年代後半からソロシンガーとして活動するもヒットが出ず、その後ステイーヴィー・ワンダーのバックシンガーを経て76年のシングル「フリー」が英1位・米25位と大ヒット。以後は着実な活動を続け、82年にローラ・ニーロの名曲「ゴナ・テイク・ア・ミラクル」をヒットさせた後にこの曲が大ヒット。
ベースリフの効いた弾けるようなポップ感覚がたまらない名曲です。

Mike Reno & Ann Wilson "Almost Paradise…."

ラヴァーボーイのマイク・レノとハートのアン・ウィルソンという豪華なデュエットによるこれまた名曲にして、80年代を代表するバラッド・ナンバー。日本でもドラマ主題歌に使われたこともあり、大ヒットしました。米7位を記録。
ラヴァーボーイは既に本国カナダでは人気バンドで、アメリカでも80年代はトップ40の常連に。「フットルース」の翌年には「ラヴィン・エヴリ・ミニット」で初のトップ10シングルヒットを生みました。
ハートは70年代から既に大人気バンドでしたが、82年の「プライベート・オーディション」、83年の「パッションワークス」がセールス不振で実は「フットルース」の頃は低迷期にあたりました。が、それ以後はご存知の通り、85年「ハート」から第二の全盛期を迎えることになり、
ラヴァーボーイともども「フットルース」を機に飛躍を遂げたといえるでしょう。
作曲は元ラズベリーズの中心人物だったエリック・カルメンで、2000年のアルバム「ウィンター・ドリームス」でセルフカバーされています。ちなみにデュエット相手はローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」でも有名なメアリー・クレイトン。

エリックは元々ポール・マッカートニー的なセンスを持ったソングライターで、ソロとしても75年「オール・バイ・マイセルフ」、76年「ネヴァー・ゴナ・フォール・イン・ラヴ・アゲイン」などをヒットさせた後、やや低迷した時期にこの曲で再注目され、87年のサントラ「ダーティー・ダンシング」からのシングル「ハングリー・アイズ」、さらに88年には「メイク・ミー・ルーズ・コントロール」のトップ10ヒットを生み、大復活しました。

Bonnie Tyler "Holding Out for a Hero"

作曲はスケールの大きな曲ならこの人、ジム・スタインマン(ミート・ローフで有名)。
ボニー・タイラーはイギリス出身で、77年のシングル「イッツ・ア・ハートエイク」が英米で大ヒットするもその後は低迷。ところが83年にシングル「愛の翳り」が英米1位を記録し、その勢いを得て「フットルース」に参加。この曲も英2位・米34位のヒットになりました。日本でも麻倉未稀のカバーヒットで有名に。

Shalamar "Dancing in the Sheets"

シャラマーは70年代後半から活動するアメリカのバンドですが、82年のアルバム「フレンズ」からイギリスでヒットシングルを連発。ところがメンバーのジョディ・ワトリーがソロに転身という転機の頃にこの曲がヒットします(米17位・英41位)。
アルバム収録曲では唯一のディスコ系ナンバーで、作曲もメンバーのビル・ウルファーが参加。

Kenny Loggins  "I'm Free (Heaven Helps the Man)"

ケニーによる2曲目で、これも彼自身の作曲。米22位と中ヒットに終わりましたが、これは彼のキャリア中でも屈指の名曲。いまだに聴くと胸がキュンとする哀愁のあるロックナンバー。
印象的なギターソロはTOTOのスティーヴ・ルカサーによるもので、デヴィッド・フォスターがシンセとプロデューサーで参加。

Karla Bonoff "Somebody's Eyes"

AORの名盤「レストレス・ナイツ」(78年・米31位)で知られるカーラ・ボノフですが、82年にシングル「パーソナリティ」が米19位にチャートインするなど上り調子の頃に「フットルース」に参加。
この曲はシングルとしては地味だったのか米106位にまでしか上がりませんでしたが、彼女らしい端正な音像が好きです。この後彼女は88年の「ニュー・ワールド」までアルバムを出さず、タイミングを逃した感がありますが、ライヴ活動を続け、近年アルバムも発表しています。
何が残念かというと、この曲を収めたベストアルバムがなぜかないこと。

Sammy Hager "The Girl Gets Around"

「フットルース」の2年後にはヴァン・ヘイレンに参加するサミーですが、意外とサントラ参加が多い人でもあり、81年映画「ヘヴィ・メタル」、82年映画「初体験リッジモンド・ハイ」の主題歌を手がけ、「フットルース」後の85年に81年発表の「アイル・フォール・イン・ラヴ・アゲイン」を映画「ヴィジョン・クエスト」に提供、そして87年には映画「オーヴァー・ザ・トップ」に「ウィナー・テイクス・イット・オール」を提供するなど、ケニー・ロギンズに劣らずサントラのイメージがあります。
この曲は「フットルース」収録曲中、唯一シングルカットされなかった曲ですが、イントロからサミー節が炸裂する痛快なロック・ナンバー。

Moving Pictures "Never"

ムーヴィング・ピクチャーズはオーストラリア出身のバンド。本国では82年に「ホワット・アバウト・ミー」のNo.1ヒット(米でも29位)を飛ばしています。
意外にも「ネヴァー」はチャートインしなかったものの、日本ではMieがカバーヒットを飛ばし、彼らのシングルもそこそこ売れた模様。ボン・ジョヴィ「夜明けのランナウェイ」と同様のシンセアレンジの効いたロック調で、いかにも日本人好みの感じがします。
彼らはその後87年に一旦解散しましたが、現在は再結成をしているようです。

おまけ:

実は80年代のサントラとしては「フットルース」は「ダーティー・ダンシング」「パープル・レイン」よりもセールスは下だそう。
ちなみに
98年に15周年記念でコレクターズ・エディションが出ており、これがそのまま現行盤になってまして、そこには映画のBGM的に少しだけ使われたクワイエット・ライオット「メタル・ヘルス」、ジョン・メレンキャンプ「青春の傷あと」、フォリナー「ガール・ライク・ユー」、前述のシャラマーの12インチ・ヴァージョンが追加収録されていますが、これは蛇足でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?