「“隠れビッチ”やってました。」からわかるコンプレックスとの付き合い方

自分は価値のない人間だと思っていた。というか思っている。
だからこそ、人から「好きだ」とか「可愛い」とかチヤホヤされると、そっちに引き寄せられてしまうところがある。たぶん、自分も作者と同じ隠れビッチな節がある。

チヤホヤされることで愛されていると錯覚して、そしてそれを心地よく思っていた。価値のある人間のような気になれるから。だから、よく思ってもらえる(褒めてもらえる)為に自分を取り繕うし、求められたら嬉しくなって応じちゃう。

だけど実際はそんなので気持ちは全く満たされないし、自分のありのままを見てくれてるわけじゃないって思って病むし、そしたら相手を傷つけたくなる。大事にしてくれてるわけじゃないじゃんと思って、酷い態度をぶつけたくなる。暴言吐いたりとか、拒絶したりとか。本当はありのままの自分を見てほしくて、その上での愛が欲しいのに、そうじゃないただの欲望を感じてしまって、傷つくことも少なくない。

そう、私はいわゆる恋愛苦手系の人間だ。相手がくれる好きが本当の好きじゃないと思って絶望したり、一方で本当の好きかもしれないと思えばどこまでも自分を受け入れて欲しくなってしまい自分をぶつけすぎたり、受け入れてもらえないとなると「なんでだ」と理不尽に傷つけたりした。

こうなってしまうのは、「自分は愛されていない、価値のない人間なのだ」と小さい頃から感じて育ったことが影響していると、ここ数年かけて自己内省してやっと気づいた。その小さい頃の感情はコンプレックスとして今も残ってる。コンプレックスに縛られている自分が大嫌いだった。自分の人生がコンプレックスに支配されてることに気づいた途端、めちゃくちゃダセーなって思った。だから、そこから脱したかった。コンプレックスなしの私で、人生を戦いたかった。でもそんな方法なんて全くわからなくって、自分のコンプレックスを見ないことにしたら、空っぽになってしまった気がした。

きっと、ただ、わたしはわたしを好きになりたかっただけで。自分を好きになること=自分の嫌いなところをなくすことだと思っていて。だからコンプレックスに捕らわれちゃうダメな自分を捨てて、好きな自分で生きようって思った。でもそれが全てじゃないんだよって、この本が教えてくれた。作者は自分と向き合う中で、コンプレックスがなければ今の自分にはなれていないこと、今までしてきた経験もできていないこと、今まで出会った人と出会えていないことに気づいた。確かにその通りだと思った。自分の弱さがあったからこそ、出来た経験を思い出した、出会った人を思い出した、築いた関係を思い出した。それら全部が大事だった。それがもしなかったらって思うと、ちょっとゾッとするくらい。

コンプレックスって悪いことだけじゃなくて、自分に与えてくれたこともあるんだと思えた。私でいうと、人の心や痛みを感じるということを、このコンプレックスから与えてもらったな、と思う。だって、小さい頃からずっと自分の心や痛みに向き合ってきたから。弱さとか、汚さとか、そういう感情も大事な感情だと思えることは、自分の強み。そういうのをないがしろにしない人間であれることは誇らしいと思えるな。

コンプレックスは弱さでもあるけれど、言い換えれば自分を作ったベースでもあるんだ。このベースの上でわたしは生きてきたし、生きていくしかないのだ。コンプレックスに内包されている、ネガティブさもポジティブさも両方受け止めて、自分だと認識すること。それが自分を愛するってことなのかもな。つまり、結局はこのコンプレックスから生まれる弱い感情も、しっかり自分自身だと受け入れることが大事なんだろうね。

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