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元カノに勧められた図書館戦争

 何年か前に邦画好きの彼女から勧められた映画がある。有川浩原作の「図書館戦争」だ。自分は邦画はたまに見る程度で洋画を頻繁に見ていたため後回しにしていた。映画を進めてくれた彼女とは別れ数年、プライムビデオに作品が並んでいたため、何気なく見てみた。

 この「図書館戦争」は表現の自由と図書を守る「図書隊」と、公序良俗に反する表現、図書を検閲・弾圧する「良化隊」との戦いの中で、登場人物の成長や恋愛、そして自由とは何かを問いかけてくる作品だ。この「図書館戦争」には現代とは違う設定と法律がある。大きな違いは「メディア良化法」という法律が「図書館戦争」の世界には存在することだ。この法律は世紀の悪法と言われ、攻撃的な表現や言葉を本やネットからなくすというものだ。これにより、あらゆる媒体の表現は検閲され、不適切とされれば閲覧することができなくなる。ネットからはサイトが表示されなくなり、本屋から本が奪われ燃やされていくこととなった。

 こんな悪法から図書を守るため、図書館法に則る公共の図書館は「図書館の自由に関する宣言」をもとに「図書の自由法」を制定。本の自由を守るべく自主防衛をすることとなる。「メディア良化法」を盾に強引な検閲をする良化隊と本を守る図書隊は衝突することとなり、時には死者をだすこととなる。しかし、世間は無関心で、本の自由が脅かされていることに対し、危機感を覚えないでいたのだ

 この作品の1作目を見て、あまりの突っ込みどこの多さに半ばネタ作品であると思っていた。ありえない設定を設け、図書館という身近な場所で銃撃戦をしたいがためだと思っていたのだ。法務省参加の「良化隊」と地方自治政府傘下の公共の図書館が銃器を使用するという設定は無理があり、まさに「たかが本のために」と思って見ていた。しかし、このありえない設定に慣れてきたころ、この「図書館戦争」という作品が伝えたい内容を理解できるようになった。

 我々が籍を置く国は自由で民主的な国である。何を表現するのも自由だし、政治は民主的に決められる。無論、憲法や法律に反するわけにはいかない。「図書館戦争」内でも「メディア良化法」は時の与党が法案を通し、その与党を選んだのはもちろん国民である。しかし、その法案が通過した後、国民は無関心であったことが問題だ。いや、法案が通過する以前から国民は政治に無関心だったのかもしれない。この政治に無関心、ということが現代社会に問いかけるテーマの一つなのではないかと考える。

 現在の日本でも政治への関心は投票率でうかがえる。日本人の2人に1人は投票をしない。もしいま、「メディア良化法」のような悪法が与党の手によって通過しようとしても声を上げる国民はどれだけいるか。さすがにそんな法案を出す与党ではないと思うし、通過させるとも思えない。が国民が無関心であるのならばそれもわからない。

 そしてこの作品が伝えたいテーマのもう一つは「自由」だと思う。この作品内では表現の自由を中心に作品を組み立てているが、今日本人に与えられている自由は言論、思想、宗教など様々だ。自由は民主的な政治を行う上で絶対に欠かせない。民主主義は活発な議論をもとに成り立つもので、活発な議論を行う上では様々な考えを主張する必要があるからだ。昔も今もこの世界には自由を弾圧する国や地域がある。無論、その国の正義があってのことだとは思うし、国家の運営としては国家転覆につながる考え方を弾圧するための行為であることも理解できる。しかし、国家のための国民か、国民のための国家かを考えれば、今自分が必要とするイデオロギーが何なのか考えることができる。

 こうしたテーマを作品から感じることができた。本を守るという設定は無理があっても非常にわかりやすく、本という身近なものが大切なものであることを伝えてくれた。作品内では、命を懸けて本を守る「図書隊」も、本を愛する図書館の利用者も、未来に自由を残そうとする茨城県知事も、マスメディアとしての責務を果たさんとするジャーナリストも皆が自由民主主義というイデオロギーを守る戦士なのだ。我々も銃も盾も持たないが自由を守る戦士の一人として今日も生きていく。

 あと作品の中での恋愛物語も結構おもしろかった。このような作品に無理やり恋愛要素を入れてくる映画はいくつもあるが、この作品では無理なく、むしろ応援したくなるようなストーリーだった。手塚君の今後が気になるところだ。

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