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誰かに共感してほしいわけではないが聞いてほしい文化の話

 最近、文化が変わりつつあると感じるようになった。自分は23歳の青二才だが文化という言葉の意味を知り、それに注目するようになってから変化に気づくようになった。小学生の時、夢中になってみていたテレビからスマホへと変わり、中学生の頃、熱中していたライトノベルは今では電子書籍である。

 こうした違いはテクノロジーの進化であると思っていた。しかし、テレビからスマホ、紙書籍から電子書籍に世界がシフトしたとき、そこにある作品は違うものだと感じた。「テレビチャンピオン」や「レッドカーペット」、「涼宮ハルヒの憂鬱」といったタイトルはその作品を示すタイトルでありながら、作品の内容を伝えるものではない。しかし、今ある文字だらけの動画サムネイルやいわゆる「なろう小説」はタイトルで作品の内容を伝えようとしている。

 こうした変化を自分は文化が壊されたと感じた。自分にとって文化とは高潔で洗練された人類の営みであるという考えがあるからだ。これは世界史で文化というものを学んだから得た価値観だと思う。文化はその時代を表す一つの指標のようなものであり、高潔な人々、昔で言う貴族のような人たちが嗜むものであるからだ。

 こうした文化というものに対する価値観を持つ自分からすると今の文化は雑に作られたものであると感じる。おそらく、だれもが手にすることのできるスマートフォンで、無料で楽しめるようになり、また簡単に作品を世に送ることができるようになったからであろう。ここまではテクノロジーの進歩によってなされた結果であるといえる。しかし、作品が飽和したことによりより多くの支援者、現代では視聴者という人を多く獲得するために作品の内容を冒頭で説明しきってしまうのだ。

 これを文化の破壊と感じているわけだが文字を利用することでによって作品を世に伝えている新しい文化とも言えなくもない。というより後世では2020年代はこのような文化であったと説明されるだろう。自分でも理屈としてはそうゆう文化と理解できるが、やはり文化が破壊されていると感じてしまう。

 まぁこうゆう考えが自分の価値観なんだろうなと、そう思ってひっそりと生きていこう。

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