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摂食障がいの克服57【nature, nurture】

  私は、学生時代に、心理学を学んでいたことがあって、『心理学』というと、心の研究のように思えますが、実は、脳の研究であったり、とっても幅広い学問になります。

 いわゆる、『心理学』(general psychology)、『社会心理学』(social psychology)、『発達心理学』(developmental psychology)、そして、『異常心理学』(abnormal psychology)、また『性格心理学』(personality psychology)を私は学びました。もう、教科書も持っていなくて、断捨離にとり付かれた自分を後悔しています・・・。20年以上も前の記憶に基づき書いています。

 ネイチャー・ナーチャー議論というのは、心理学上もなされていて、今の自分が作られたのは、遺伝的だったのか、それとも、後天的だったのか。産まれつきなのか、育った、環境なのか。

 アメリカで、一卵性の双子さんで生まれた瞬間から、違う環境で育たれた方がいらっしゃったそうです。いくつの時だったかに再会した際に、それぞれはどのぐらい、似ていて、どれぐらい、似ていなかったのか。

 ここからは、私が当時思っていたことなのですが、やっぱり、『後天的』(環境)じゃないかな、って思うんです。
 私自身、子どもが生まれたとき、(というよりおなかにいるときから)、たくさん語りかけていて、何でもとにかく褒めて、自分に自信のある子に育ってほしかった。自信というのは、いわゆる、自分ってすごい、なんていう『自信』ではなくて、『自分が自分として、存在していい』という自己肯定感です。一般的に言われているのは、『10歳の壁』で、10歳までにそういう、自己肯定感を育てたかった。『自分が好き』という心です。

 実力というよりは、やる気を育てたいと思っていました。買い与えるより、私自身が作ったりして、一緒に作る、ってことも楽しんでほしかったから、たくさん工作もしたし、やっぱりたくさん作品を(絵を)描いてくれて大切に取っています。

 ・・・立派なことを書いているようですが、私自身がダメな人なので、だめなことも、というより、だめなことがたくさんありすぎました。まず、私は心が弱いし、からだが弱いし、無理しすぎるし、神経質だし、・・・のちに、主治医に言われたんです。

 『子育てっていうのは、周りを頼って、頼って、それでひとりを育てるということ。頼っていい』私が頑張りすぎる気質と知っての、頑張りすぎるというか、責めすぎる気質と知っての、優しいことばでした。

 話をタイトルに戻すと、『nature』『nurture』。ナーチャーの部分ってすっごく大きいんじゃないかなーって思うんです。人は誰だって認められたい、愛されたい、毎日うんうん、って話を聞いてほしい。

 (最近摂食障がいの克服1を書きなおしてみて、だいぶ壮絶ないじめに遭った経験があります。これは辛かったなー・・・まさにナーチャー)

 もしも、それがなかったとすれば、やっぱり自分に自信なんて、もてないと思うんです。

 ここで、私が当時好きだった、心理学者のカレン先生という方を思い出して、検索しました。

 ドイツの方で、のちにアメリカに移られたそうです。
 大学卒業後に、ご両親を亡くされて、うつ病にも苦しまれたそうです。

 『基底不安』を唱えられています。以下、ネットから検索したことを、私なりの理解とともに書いております。

 親が支配的だったり、また、拒否したり、冷たかったりすると、その親子関係で信頼関係がまず、学べない。人は誰しも、まず親と信頼関係を結ぶ練習をするものだと思います。でも、そうでないと、親に心を許せず、安心感がないままに育ってしまう。結果、親だけじゃない、他人にも根本的に、信じることができないという、不信感とともに、生きてしまう。

 これにより、依存体質だったり、攻撃的な性格、回避してしまう気質、服従してしまう・・・などそういう気質が無意識的に、芽生えるそうです。

 私は親は、子どもを大切に思っている・・・と信じたい。自分自身の周りにはそんな家庭しかなくて、自分も踏まえて、そう思いたい。ただ、人には感受性の強い弱いもあるし、ちょっとしたすれ違い、親の事情をこどもが理解できないとか、本当に色々なケースがありますが、・・・カレン先生が提唱されていること、わかります。

 子供が、理想の自分『~すべき』自分というものを心に感じていて、それを環境下がそうはさせなくて、結果全然だめな自分を感じたとき、『蔑視された自己』が生まれるそうです。理想・・・たぶん、これって、私が思うに、『普通』になりたかった自分と、なぜか『普通』になれなかった自分なような気がします。何も、立派になりたかったわけじゃない。

 ただ、普通になりたかった。

 理想の自己と、軽視された自己がぶつかりあって、『他人から過度に承認や愛情を求めたり』、『いつも敵意むき出しで、自分が他者を支配したい』だとか、『ひとり、引きこもる』とか、そういう行動に移る・・・そういう、カレン先生の世界を今朝ふと思い出していました。

 まるで、私自身みたい。
 そう思うことが、まるで、親を悪く言っているようで、・・・・
 また自分を責めてしまう。。

 また、『鬼滅の刃』を、主治医の先生の勧めで全巻読んだんです。
 もう夢中になって読みました。でも、なぜ、先生がそれを勧めたのか知りたかった。

 ペンキ画家のショーゲンさんも主治医の勧めで見て、ショーゲンさんの世界が知れてよかったとおもった。

 答えは私自身が感じることですが、『鬼滅の刃』を全巻読んで私が思ったことは、『私は鬼側』だということ。鬼たちも悲しい人生だった。それに、共感してはいけないかもしれないけれど、私は『鬼側』だって感じたんです・・・。

 昨日はお友達に、来てもらって一緒にご飯食べました。

 夜になって、あの不安定になる感じが、きついです。
 
 りゅうじさんのレシピの至高のハンバーグの作り置きがあったのと、これもりゅうじさんのレシピの、給食のカレーの作り置きがあったので、なんとかなりました笑。

 今日は、りゅうじさんが、桑田龍征さんのチャンネルに出られてる動画をずーっとつけてます。シーンってなってると、私頭で音がして辛いので、いつもこういう楽しいYoutubeに救われます。

 追記:簡単ではないけれど、私を診てくださっている別の先生に、相談していたとき、『あなた、絶対元気になるよ』って声をかけて頂いていて。
 やっぱり苦しんだ分、元気になれたとしたら、普通よりもっと嬉しいし、だから、私もがんばりたいし、幸せにたどり着けたらいいのになって、思います。

 


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