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得た知見と技術の使い方。

座右の銘。と言えば、少し大げさかも知れませんが、好きな言葉のひとつに、「井の中の蛙大海を知らず」があります。

なぜ、好きな言葉になったのかといえば、言葉の意味通り、自分の見ていた、知っていると思っていたことの浅はかさ、狭い価値観を、環境や、出会った人に拡げて頂いたことで、物事の本質や深淵を覗くこと、知れることを、人生の醍醐味、歓びのように、素直に楽しいと思えたから。です。

純粋な興味、好奇心に突き動かされたり、誰かに引き上げて頂いたり、才能が引き出されたと思える瞬間。自分の仕事で言えば、制作の機会を頂いた方へ作ったものをお渡しした時、喜んで頂けた時。感動に繋がった時。他の何ものにも代え難いものが返ってくることを知っているので、これからも喜んで頂けるように頑張れねば。と、継続に繋がっています。

時折流行る、モノの価値について&モノの価値とはなんぞやと問う時に、
どちらが上か下か、比較をして。誰かを、何かを卑下して、自らの価値や自尊心を満たしたり、価値あるものだと主張する声を聞いて、嫌悪感を抱くことが度々あります。

共通して、否定する訳ではありませんが。って前置きから始まります。
〜よりも価値、意義がある。とか、〜よりも感動した。〜に勝る。(排他的な意味合いの)、〜では。〜にはない。などの類いの言葉や、
〜するべき。の後に繋げる保身と正当性の類の主張も、率直に疑問符です。

想像もできないほどの努力、苦労の末に、身につけてきた技術や得た知見を、他との比較や競争でしか伝えられない、測れないのはなんだか切ないと。(自戒を込めて。)

何かに興味を持って、知りたい、上手くなりたい、より良くしたいと思うこと。それはなんのためなのか。物事の高みに限らず、人間としての豊かさ、素晴らしさ、(敬意、誠意が無かったり筋が通らないと難しいですが)寛容さを持ち合せていたいと、そう在りたいと思いました。

自分の全て、命に変えてでもと思っている、手仕事、美術、芸術。に触れながら(知りながら)、優劣であったり、他人の眼の評価に振り回されていたり、とっても勿体ない(残念だな)と、、、。

店舗兼工房での接客時に、量産品にはない、~(他店、他ブランド)と違って、など、お客様から誉め言葉としてお伝え頂くもありますが、それぞれの良さ、特徴があることを、僭越ながら補足、訂正させて頂いています。

価値について、問うこと、問われることも増えましたが、答えとして私が持っているのは、アイリーン・グレイが残した、”物の価値は、創造に込められた愛の深さで決まる” に尽きると、言葉や定義がなくとも、作ったもの観た人に必ず伝わるのでないかと思っています。

より良い制作の為に、研鑽、知見を求めて、自分の思う、美学や美意識の塊のようなジュエリー、アクセサリーを作ってはいますが、大切な人から譲り受けたもの、貰ったものなど、
それがたとえ、お菓子についてるオマケの玩具や折り紙で作られたものであっても、(身に着け、大切にしたいと思う人が知る、決めた価値には、)到底かなわないです。

店舗兼工房というお店を営み、日々制作をしていても、そこまでの行く末を自ら決めることは出来ませんが、自分の作ったものが、例えば、親から子へ、世代を越えて受け継がれる大切なものにもして頂けたら、とても素敵なことだと思います。

そんな使い方を、していきたいです。

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