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ヴィーガンの家で考える食の多様性とは

昨今、地球規模の気候変動や健康志向の高まりの影響もあり、ヴィーガンという言葉が広く知られるようになったけれど、まだ日本ではあまり知られていなかった20年以上前に私はヴィーガンの家庭に生まれた。

父が若い時に病気をし健康的な食事を勉強し始めたことに始まり、行き着いた先がヴィーガン(マクロビオティックと言っていたけれど)だった。一般的に知られるヴィーガンよりもさらに厳しく、砂糖も豆乳も日本で獲れない果物もダメ。
私は幼稚園から高校まで私立で過ごし、給食もなく、周囲もとても理解のある環境だったけれど、それでも幼いながらに苦しい思いをしたことがたくさんあった。

行事で出てくる食べ物を食べることができない時は、自分だけ手作りの食べ物を持っていった。
放課後に友達の家に遊びに行っても親に確認していないおやつは食べられなかった。
お店で美味しそうなお菓子を買ってほしいとねだっても全て却下された。
外食なんてほとんど行ったことがなかった。
地域のスポーツクラブの合宿では食堂でみんながバイキングのご飯を食べる中、サラダとお米だけ食べた。
高校の修学旅行ではみんなが先生にアイスを買ってもらう中、何も食べずに過ごした。

学校の先生はめんどくさそうにし、初めて会う人たちからは驚きの眼差しを向けられ質問攻めにあった。
今でも思い出すと涙が溢れてくるくらい色褪せることなく心に焼きついている。
思春期になると、こんな生活をする親を恨み、こんな家に生まれた自分に絶望した。
そして一方で、同調圧力が強い日本でも食の多様性がもっと認められ、他人の食生活にお節介な口出しをしない社会になることを強く願った。

大学生、社会人になるとさすがに親の許可を取らなくても外で好きに食べられるようになった。
私もこれからの人生は自分で決めるから親に制限されるのは嫌だと伝えたし、親は大人になった私が外で自由に食べることに対して何も言わなかった。
だけど現実には、1つの食材を美味しく食べられるようになるまでには時間がかかる。
魚も肉も「ん、あまり美味しくないな」から始まり、それでも辛抱強く「あ、美味しいかもしれない」と思うまでトライし続けることの繰り返し。
私の気持ちに理解を示してくれる母が時々チャレンジに協力してくれた。

先日、実家で自分のお皿のパスタに新しい調味料をかけようとした私に父が言った。
「えー食べるの?砂糖いっぱい入ってるよ。甘いだけだよ。美味しくないでしょ」
私が求めてきた食の多様性は何だったのか。
食の多様性の最前線だと思っていた我が家では、1つの正解以外の選択肢はなかったことに気づいた。
父は自分が求める正解だけを大切にし、私の気持ちなど関心がないのだと思って激しい抵抗感を覚えた。

最近ヴィーガンの人が増え、食の多様性が社会でも受け入れられるようになってきたことは嬉しく思っている。
オリンピックの時期と重なったこともあってか、チェーン店も続々とヴィーガンメニューを開発してくれたことは、多様な食文化の人を受け入れる体制を取っていると示すことにもなったと思うし、当事者としてもとてもありがたかった。

普通の食事というものがあるのかわからないけれど、好き嫌い以外不自由なく食事ができている人たちには、どうかヴィーガンやベジタリアンなどの人が身近にいても戸惑って腫れ物に触れるように接することはせず、食の多様性のひとつなのだと認めて、共感しなくて良いから相手の言葉に耳を傾けてほしいと思う。

一方で、ヴィーガンやベジタリアンなど様々な理由で食にこだわりを持っている人たちには、自分の生き方を貫いていいと思うから、どうか自分の考えを相手に押し付けないでほしいと願う。そもそも地球上には80億人の人がいて家族であっても考え方は違って当然。きっと正解はないから、良かれと思って周囲の人の人生を自分の思想で判断・コントロールしようとしないでほしいと思う。

私が家庭を持ったらヴィーガンにはならないだろう。
生まれてから20年もヴィーガンとして生活し、残念ながら、もうヴィーガンであることの窮屈さには疲れてしまった。
一人ひとりが自分の生き方を選ぶことのできる社会であってほしい🤲

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